ぎんじ

大学3年になりました(!) noteは心のくずかご。

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最近の記事

投票率を上げることはそんなに良いことなのか

今回の選挙に限らず、選挙が行われるタイミングでは「投票率が低すぎる」「投票率を上げよう」みたいな声が多く見受けられますが、投票率を上げることはそんなに大事なことなのでしょうか。投票を義務化すべきだという意見もありますが、全ての国民が政治的な意思決定に参加することにデメリットはないのでしょうか。そんな疑問から出発して書き始めていきたいと思います。付け加えるまでもないですが、これから書く文章はなんとなく生まれた疑問を言語化したものなので、そこまで論理が徹底されているわけではありま

    • 自分と向き合う

      先日、最後の出勤を終えた。働いていたのはとある個別指導塾。具体的な名前は言わないが、卵かけご飯が食べたくなる塾だ。 2年間、バイトを楽しいと思った事はなかった。バイトに行くのはいつも億劫だったし、自分の居場所もなかった。唯一得られたことと言えば、退勤の喜びと僅かばかりの金銭だ。 2年間働いても友達は1人も出来なかった。友達どころか、業務連絡以外の会話をした記憶がない。それもそのはずで「まあ別に友達作らなくてもいいか」と思って働いていたら、本当に1人も友達が出来ずに2年が経

      • 『服従の心理』を読んで

         『服従の心理』は社会心理学者スタンレー・ミルグラムが行った、通称アイヒマン実験についての報告をまとめた一冊である。ここでは、その感想について述べていきたいと思う。約7000字と長い文章になってしまったがお付き合い頂きたい。 ◇実験の概要 まずは実験の概要について簡単に説明する。「記憶と学習の実験」と称して2人の実験参加者が集められ、クジ引きで「教師役」と「生徒役」が決定される。生徒役は別室に連れて行かれ、椅子に縛り付けられて手首に電極が繋がれる。この状態で記憶に関するテス

        • 「自分で自分を認める」というアポリア

          心の安定を保つためには「自分で自分を認める」ことが大切だと言われる。それが出来れば、他人の評価に振り回されることもないし、他人の目線を気にせず自分らしい生活が出来るようになる。そのように考える人は多い。 ここでは、そのような「自分で自分を認める」という行為は不可能だと主張した上で、どのようにその主張を乗り越えていくのかについて考えていきたい。 主体と対象の密着「自分で自分を認める」という行為を単純化して「AでBを認める」と置き換えて考えてみよう。この場合「AでBを認める」

        投票率を上げることはそんなに良いことなのか

          学びの甘さ

          大学で倫理学の講義を取っている。 その講義では授業冒頭で学生の感想に対してフィードバックを行うという形で授業が進むのだが、そこで紹介される意見がどれも視野が広く批判的なもので、毎度面食らってしまっている。そして、いかに自分が今まで受動的な学びしかしてこなかったかということに気づかされる。 今までは、目標も問題も常に与えられるものだった。受験の時でさえ、倍率や合格最低点が与えられ、そこに対していかに取り組むかということに重点を置いてきた。 用語集を買ってひたすら知識や理論の

          学びの甘さ

          他人と比較するということ

          何人かの友達が一年間の留学に行く。 僕はその話を聞いてとても複雑な気持ちになった。頑張って欲しいのは当然だし、人生でそうない貴重な機会だから精一杯楽しんでほしい。その気持ちに嘘は無いんだけど、どうしても自分と比べてしまう。 僕も留学経験が一応あるが、滞在期間は二週間にも満たない。もはや「留学」なんて呼んではいけないと思っているが、それでさえ決断するのに相当の時間を要し、ヘトヘトになりながら帰ってきた。たしかに良い経験になったし、自分が成長したとは思うけど、どうしても一年間の

          他人と比較するということ

          ずっと応援していた球団が優勝した。

          2003年生まれの大学2年生。親の影響で幼い頃から阪神タイガースを応援していた。テレビで見ていた巨人戦はいつも負けていた。 阿部慎之助がホームランを打ち、マシソンと西村には手も足も出ずあえなく敗戦。そんな試合ばかりだった。だから僕にとっての阪神タイガースは『伝統があるくせに勝てない球団』だった。 それは月日を重ねても変わることは無かった。 奇跡の下剋上を果たして進出した日本シリーズでは、守備妨害でシリーズが終わるというなんとも言えない負け方をした。CSに出たときも「エラ

          ずっと応援していた球団が優勝した。

          自己受容

          僕は大学で野球をやっている。他のスポーツでもそうだが、喜びを感じることもあれば悔しさを感じることもある。とはいえ悔しさを感じることのほうが圧倒的に多く、それは自分の生き方や人生を考えるきっかけになったりする。 自分が思い描く理想の自分。それと実際の自分が違うということを受け入れるのには時間がかかる。試合で活躍出来る、もっと上手くプレー出来ると思っていても、そうではないということを実際の試合やスタメン発表の時に否が応でも知らされる。 理想と現実にどう折り合いをつけるか。 基

          自己受容

          部分点

          違う人生を生きる世界線だってあったはずなんだよな、と思う。 あの時の選択を間違えていなければ、色んな出来事が少しずつずれていれば、今よりももっと理想的(であろう)な人生を送れていたはずなのだと思うとなんとも形容し難い気持ちになることがある。 ◇ 人生は思い通りにいくものだと本気で信じていた時期があった。 そうでないと知った時のショックはそれなりに大きかった。何が悔しいかといえば、出来るはずのことを出来なかったことだ。石油王になる、みたいな100%無理な人生なら諦めもつ

          優柔不断

          優柔不断である。 自分が優柔不断だということは理解しているから、注文の時もあまり悩まずスパッと決めようと心がけている。しかし、スパッと決めたときに限って注文を終えた直後に「もう少し吟味してから決めても良かったな」なんて思っている。 優柔不断だから本や服を選ぶ時、一時間ほど迷うことがよくある。一時間も迷っていると、当然次の予定が迫ってくるので店を離れる必要があるのだが、優柔不断なくせにタイムパフォーマンスを大切にしているから「一時間も悩んだのに何も買わないのはもったいない」

          優柔不断

          最近の蚊について

          夏だ。 布団に入った瞬間にあの耳障りな羽音を聞くと特にそう思う。 だいたい夏を感じさせるものが蚊の羽音だというのも、よく考えてみれば悲しい話だ。できることなら風鈴がチリンとなる音が夏の合図であってほしかったし、呑気にスイカの種でも飛ばしていたかった。 「なんだかこいつ手強いな」 そう感じ始めたのは5年前くらい。それまでは、蚊を叩き潰すことなんて簡単なことだった。だけど、最近彼らは本当に強くなっている。 僕は羽音が聞こえたら彼の息の根を止めるまで絶対に諦めないタイプの人

          最近の蚊について

          温故知新―はじめてのレコード体験記

          先日、はじめてレコードというものに触れた。 聴いたのはグソクムズの『陽気な休日』というアルバム。グソクムズは吉祥寺を中心に活動するシティーフォークバンドで、7月のワンマンライブに行った時に思い切ってレコードを買った。 とはいえ、僕はプレーヤーを持っていなかったから肝心の曲を聴くことができない。そこで、レコードプレーヤーを持っている友人の家にお邪魔して音源を聴かせてもらった。 そこでの体験は新鮮なことばかりだった。未知のものに対する好奇心。音が鳴り始めた時の高揚感。古いけど

          温故知新―はじめてのレコード体験記

          19→20

          二十歳になった。 だからといって何か生活が大きく変わるとかそういうわけでないが、どこか自分が大人になったような気がしている。子供と大人というグラデーションの変化に線引きをするという意味では、二十歳は大きな役割を担っているのだなと感じるし、それ故に”ハタチ”というのはしばしば人生の節目として捉えられたりもするのだ。そんな節目を迎えて感じたことをここに記しておこうと思う。 時の流れ「え、もう二十歳なの!?」 それが率直な感想だった。こないだ高校を卒業して大学に入学したばかりだと

          ドイツ語がやばい

          ドイツ語がやばい。 どのくらいやばいかと言えば、テストまであと4日なのにこんなnoteを書いちゃうくらいやばい。 もうこの時点で既に「やばい」という単語を4回も使っていて、語彙力がやばいのだがもはやそんなことはどうでもいい。 どうにかしてこの苦しみをみんなにもシェアしたいので、絶対に伝わらない事を承知の上で、愚痴を書かせてもらう。 まずドイツ語には名詞の格変化というものがある。もしかしたら、他の言語にもあるかもしれない。 ドイツ語の名詞は、1格(~が)2格(~の)とい

          ドイツ語がやばい

          大学生になりました。

          今さらだが、大学生になった。 「おいおい、夏休みになってその話かよ」と突っ込みたくなると思うが、そこに関しては許してほしい。大学生活が予想以上に忙しく記事を書く時間が無かったのだ。 それほど忙しかった理由は、もちろんキラキラしたキャンパスライフを送っていたから!と言いたいところだけど、残念ながら課題に追われていたからだ。現実は厳しい。 そんなこんなで課題を終わらせて前期を振り返っていると、色々と感じたことがあった。 理想と現実4月。 人見知りオブザイヤー2021の称

          大学生になりました。

          卒業

          卒業式の日の夜、中々制服を脱げなかった。 制服を脱いだら、本当に終わってしまうから。 人生にはどうしても受け入れなきゃいけないことがある。 2022年3月、僕は高校を卒業した。 ◇ 高校での三年間という時間は長かったのだろうか。 「三年間あっという間だったね!」と言われれば確かにそんな気もする。 だけど、ほぼ毎日つけてきた日記を見ればしっかり三年分のページがあって、三年分の厚みがあって、ひとつとして同じ一日はない。 こうやって振り返ってみると決して薄っぺらい三年間では