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情報を”噛み締める”こと

安宅和人『イシューからはじめよ』を読んでいます。


序章に、「表層的な論理思考に陥っていないか」というテーマの文章がありました。

ここ数年、「頭はよいが、反応がデジタル的で深みがない」と感じる人に会うことが増えた。すべてのことを単なる表層的な情報としてそのまま処理しているような印象を受ける人だ。これらの人は、仕事は素早くこなすし、受け答えも明快だ。だが、話をしていると「きちんと理解し合っているのだろうか」という不安を感じる。理解、共感する力があまりにも低いように思えるのだ。                         (p.38)


耳がイッタイ。
私自身、本やネットで聞きかじっただけの薄っぺらな話を、ペラペラと話してしまうことが多いように感じます。

情報が溢れかえる現代では、質はともあれ、情報を得ることはとっても簡単です。文字、画像、動画など、ありとあらゆる情報に瞬時にアクセスすることができます。

しかし、どれだけ多くの情報に触れても、表面的な部分だけを切り取り、頭で処理して、「わかった気」、「知った気」になって終わりになっている人が、私を含め多いのでしょう。
噛みしめる、解釈する、本質を考えるといった、「自分の頭で考える」プロセスが抜け落ちています。

必要に応じてそれらの情報の断片を話したり書いたりすることはできますが、ゲップみたいなものです。
深みがなく、薄っぺらで、どこにも残らない。

情報をいったん自分の中に取り込み、自分の感性、五感、知識といったフィルターを通して、自分なりに捉え直すプロセスを踏む必要があります。
そうすれば、より深く物事を捉えることができるようになるのではないでしょうか。


そうすると、本やネットで情報に触れることよりも、旅行をしたり芸術に触れたりして、五感や感性を刺激することの方が、優先順位が高いかもしれません。
情報を解釈・咀嚼するために、自分というフィルターを開発しておく必要があります。

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