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きみえの読書 #5

#完璧という領域
#熊川哲也
2019.5.27. (株)講談社

吉田都さんの自伝を読んだときに感じたスピリチュアルな感覚を熊川哲也さんからも感じるし書いてあったので 「ほらね。」と、思った。
身体を使って技を磨き、自分の心にひたすら向き合って 苦悩し、美を高めていく。表現者はそこに神を見る。鑑賞者はその人の中に神を見る。
「神」という言葉はスピリチュアルな世界では「宇宙」と言い換えてもいいのかもしれない。
この世の事象に心を震わせ それを感じた自分を通して美しさを情熱とともに表現すること。
誰かを感動させたくてやっているんじゃない。
自分を満足させられる表現ができた時に、それを見た誰かが感動するんだ。

最近、私はとても気になることがある。
夢を語るときに「自分の行いが誰かの勇気や希望になればいい」という発言。とても気になる。というか気に障る。動機が不純だと思ってしまうから。他人から見た自分がすごくてすばらしいということを感じたい。そういう風に見えるから。
そうじゃなくて、自分のためにやればいい。
自分を満足させるためにやったことが結局他人の心を震わせるのだから。

以下、私の琴線に触れた箇所を抜粋!

「ただ一つ言えるのは、どの時代であれ、どういう状況下であれ、芸術に携わる者にとっては自分の芸術活動ができないことが最もつらい、ということだ。
芸術はほかの誰のためでもなく、アーティストが自分の中の光を外に発するためになすものだと僕は信じている。それに伴って人に喜びを与えることはあっても、本質的には自分の内面でうごめく生命体のような塊を一つの作品として具現化し、外に解き放つことで、この世界を生きていくことができる。
生きるためには表に出さずにはいられない。体の奥から湧き上がる衝動や頭の中に生まれる妄想に蓋をしてしまうと、息ができずに窒息死してしまう。誰でも息が詰まれば窓を開け放つように、アーティストにとって創造は窒息しないために自然にしている行為なのだ。」

「パッションのベースには感動があり、感動の根源にパッションがある。僕は感動屋なので、怒りや悲しみという感情も含めて、いつも心が震えている。すばらしい音楽を聴いたとき、美しい景色を見たとき、肉体を思うままに動かしたとき、自分の中に稲妻のような感覚が走る。
雨に濡れるだけでなく、雨を感じる。雪に凍えるだけでなく、雪に心が震える。心が動く瞬間にパッションが生まれる。もしそこに自分が経験した思い出が重なれば、さらに万華鏡のようにめくるめく感情が生まれる。自分の中で渦巻くこの感覚、感情は理屈ではない。」

「見えないものは感じるしかない。あるいは霊的な目線で見るしかない。それは時空を超えた世界であり、『白鳥の湖』の調べが流れたときに十九世紀のチャイコフスキーと会話ができるような感性である。
見えないけれども、チャイコフスキーは音符に姿を変えて、この世に生き続けている。ゲーテは言葉に姿を変えて生きている。だからわれわれは彼らと会話ができる。」

「考えてみれば、バレエはとてもスピリチュアルな芸術だ。身体という媒介を通して天上にいるチャイコフスキーやベートーヴェンと交信する。しかもそこには言葉が関与しない。肉体だけですべてを表現し、異次元の世界とコミュニケーションを図る。」

(抜粋終わり)

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