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『タコの心身問題』感想

タコの心で人間の「意識」を相対化する。

 タコになったら どのように世界を感じることになるか、考えたことはあるだろうか。彼らが人間と同じような思考回路を持つとは限らないし、そもそも「主体的にものを感じる」こともないのかもしれない。

 しかし、研究からは、タコが動物のなかでも高度な知能を持つことが分かっている。

 タコを含む頭足類と人間を含む脊椎動物は、脳の発達以前のはるか昔に分岐し、進化を続け、それぞれ知能を持つに至った。つまり、進化は「まったく違う経路で心を少なくとも二度つくった」と言えるのだ。

 この本で著者は、頭足類の知能や他の動物との比較を通して人間のような複雑な「意識」が、なぜ発達するに至ったのかを進化論から論じている。この問題は、余りにも大きく、この本でもはっきりと答えが書かれている訳ではないが、この本からはタコや人間に対する興味深い考察が読み取れる。

神経系はなぜ発達したか

 意識や心は、脳の活動によるものである。これは自明のことである。では、そもそもなぜ脳や神経系は存在するのか?これは必ずしも自明ではない。

 この問題に著者は、神経系の誕生と、複雑な思考を可能にするまでの発達との2つの面から答えている。簡単にまとめると、神経系は多細胞生物として大型化する過程で、個体として行動するために誕生し、行動や食料採取の複雑化によって高度化したという。

 もちろん、これは一つの説に過ぎないが、細菌からタコや人間の例を交えることで、説得力のある物語となっている。

 特に興味を引かれたのが、食料採取の複雑さと脳の発達の関係性だ。タコやチンパンジーは、簡単には食べれない物を餌にしている(タコの場合、ホタテやカニ、他のタコなど)。例えばタコの場合、捕獲した物を加工して(かたい殻をはがす等)から食べる必要がある。この食生活がタコに知能も持たせる一つの要因としてあげられている。

 なぜ知能の高い動物がいるのかということを今まで考えることもなかった私にしてみれば、この説はとても好奇心を刺激された。(その結果、期せずして昼ごはんを抜くことになった。)知らなかったことを知るのはやはり楽しいものだとも思った。

タコの脳(?)

 最初にも書いたが、タコと人間とは太古の昔に系統を分けて進化してきた。したがって、外見からもわかるように、タコは人間とは似ても似つかぬ形になった。

 それに伴って、タコの脳は人間のものとはまったく違ったものとなっている。まず、「タコの脳」という表記すらあまり正しくない。というのも、脳の細胞の多くを構成するニューロンは、タコの場合、8本の「腕」に多く存在しているからだ。

 もうわけがわからない。

 定型を持たないタコは体を操作することが難しく、8本の腕を使いこなすため、膨大な処理を各々の腕で行っているらしい。彼らは目で周囲の状況を伺っているが、それと同時に彼らの腕も触覚や味覚(タコは腕で味を感じることができる)を通じて周囲を警戒している。

 想像もつかない生き物だ。腕を自分で完全にはコントロールできない、すなわち「自己」と「他者」の区別が曖昧な状態 --- タコの心を考えるのはどうやら難しいらしい。

言語の内面化

 自分の心を観察すると、何らかの言葉が常に移ろっていくのが分かる。この「内なる声」は一体どこから来たものなのか。著者はこれを進化論的に説明している。

 動物には、知覚の恒常性を保つため、行動のコピーをつくる仕組みが備わっている。動物がある行動を決断し、脳から筋肉に何らかの命令が送られた時には、同時に同じ命令の不鮮明な「写し」が、感覚を扱う脳内の部分に送られる。このコピーのおかげで、脳のその部分は自らの行為の影響を考慮することができる。著者は、このコピーが本来の役割を離れ、「空間的想像」や「内なる声」として、人間の思考の複雑化に寄与したと論じている。

 人間の誰しもにある頭の中の言葉や映像も、進化論によって説明できることには衝撃を受けた。そもそも、私はいままで想像の中の声をほとんど疑問視していなかったので、それが当たり前のことではなく進化の産物であると理解したときは、世界の一部がひっくり返された気もした。進化論の強力さを見せつけられたと思った。

(今さらだけど)理科は楽しい

 『タコの心身問題』を通して、進化論の強力さを実感することができ、さらに、想像もつかないものについて考えるいい機会になった。いままで当たり前だった「内なる声」を相対化することもできた。とても実りの多い読書だったと感じる。

 惜しむらくは、この驚きをいまのいままで感じることがなかったことだ。このような感動をもっと早くに知ることができていれば、理系に進んでいたかもしれない。それくらい面白い本だった。これからは理科系の本ももっと読もうと思う。今からでも遅くはないはず...

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