⑧ 後日談
まぁ色々書いてきて「俺」は、この仕事が天職だぁ!なんて吠えたわけです。
楽しいし、やり甲斐もある。
ストレスも不満もない。
…でした。
「俺」の媒酌人の甥兄弟のクリニックに勤めていると記事⑥に書いた。
まさに縁だと思っていた。
しかし、この職場でリハ科の責任者である整形外科医の副院長が、通所リハを始めると言って、初めて3ヶ月ほどで「俺」に信じられないことを言ってきた…
「このままではアカン。給料下げるか、さもなければ辞めてくれ。他のスタッフにもそう伝えてくれ」
もうボーゼンとしたよ。ホンマに。
設備投資もして、新たに理学療法士も雇ってるのに、たった3ヶ月やそこらでケツ割って。
そんなこと言う?
職員と家族の生活をどう考えてる?
新たに入職した理学療法士なんて、まだ1度も給料をもらってもなかったんだよ!
「俺」副院長の言葉を伝えたよ。
みんなに。
やっぱり皆辞めるってよ。
そりゃあ、そうやろな。もう信頼関係が崩れてしまったもん。
「俺」だってこんな人の下で、やってられないわと思った。
そして翌日みんなの分の退職届を院長に持っていった。
院長はまったく知らなかったようで、驚いていた。
院長が副院長を呼び出して、今まで貢献してくれたセラピスト達に、この仕打ちはあまりに酷いんじゃないか?
そして翌日のアフター5に院長、副院長、そして「俺」で話し合った。
院長はこう言った。
「副院長は弟だし、彼の性格もよく分かっている。嫌なら辞めろなんて言わないと思うし、彼も言ってないと言っている」
あーこりゃあ何を言ってもダメだ。
完全にシラケてしまった。
もう話し合うこともないわ。
そうして「俺」は辞めた。もちろん他のセラピストも辞めた。
すると「俺」の元に講師そしてアドバイザーとして、是非参加してくれないか?とコンタクトしてきたものがいる。
年収は軽く8桁を約束してだ。
そして講師や新店舗での治療もやった。
しかし一向に給料を払われない。
8ヶ月で30万円しか支払われなかった。
「俺」は、家内にそれなりの月給を家に入れるよう要求されていたし、無休でも要求された。
もはやこれはおかしいと思い、コンタクトしてきたものを調べると昔詐欺で逮捕歴があった。
すぐにその輩の元を離れたが、そこからの就職活動は大変なものだった。
悪いことは続くもので、クリニックを退職した際、退職金の代わりになると奈良県病院厚生年金基金に毎月職場から掛けていた年金なのだが、奈良県の多くの病院やクリニックが職員の退職金代わりにとこの基金に掛けていた。
なんとその基金が破綻したのだ。「俺」は約30年かけていたのに、長い審査を経て届いた回答はわずか10万円程だった。
約30年働いて退職金が10万だったわけだ。
50近くでそこそこキャリアがあると、面接で必ず言われる「すごいキャリアですね。しかしうちでは見合った給料を払えません」か、「すごいキャリアですね。しかしうちの主任がまだ30歳代でして…」
必ずこのパターンで断られる。
職安に認定日には行かなければならないが、金が無さすぎて、職安に行く交通費さえない。
職安までの約10キロを歩かなければならなかった。往復で20キロだ。
片道2時間半歩いて職安に行くわけだ。
そして面接も毎度先のセリフを言い続けられ10連敗を超えると、もう理学療法士を辞めて、東京か福島で肉体労働をやろうかと本気で考え始めた。
病院で先生と呼ばれ多くの患者さんに頼られていた。そして講師として多くの受講生に先生と呼ばれ慕われていた。
しかしこうなると、もはやただのオッサンだ。
旬が過ぎたセラピストの成れの果てか…と思い始めた。
上手くいかない事を人のせいにしたり、社会のせいにし始めている自分に気づいた時は、恐怖さえ覚えた。
当てもなく道をただ歩いていると、死がよぎることさえあった。
もうダメかもしれない…
限界ギリギリだった。
そんな時、「俺」が開発したヒーリングメソッドであるビジュアルリフレーミングのトレーナーの1人が、アロマセラピーに精通しており、精油を調合して持ってきてくれた。
小さな小瓶を2本。
右手の手首にこちらを、左手の手首にはこちらを寝る前に塗り込むようにと渡された。
翌朝
全てのネガティブな感情が消えていた。
これには驚いた!
精油の力を思い知った。
それまでもビジュアルリフレーミングに精油を取り入れていたが、そのことに「俺」は確信を持った。
そして立ち直った「俺」は、地元の老健に就職した。
もうペーペーの下っ端でやっている。
働き始めて最初の2年以外は、ずっとリハ室の主任あるいは科長だった。
50歳にして初めて働いた時のようにペーペーに戻った。
ものすごく気楽だ(^^)
あれから大変だったが、まぁ今も何とかやっている。
「俺」のセラピストとして、治療家としての能力を120%発揮出来ているとはとても言えないが、それでも腐らずやっている。
もっともっと良い結果を!「俺」はもっとやれるはず!という望みを持たないわけではないが、社会の酸いも甘いも知った「俺」だし、日々を何とかやっている。
積み重ねた結果どうなるのかまだ分からないが、まぁコツコツやっていこうと思っている。
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