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カイロプラクティックは、ほぼほぼネットワークビジネス!

カイロプラクティックって怖いねん。
ボキボキいわして…
やられるのも怖いし、見てるのも怖い。
大丈夫なん?って思ってしまう。

そんなもんに何で俺が?と思われるかもしれんけど、これには理由がある。
前回投稿のAKA-博田法が、何で仙腸関節を動かしたら、離れた肩とか良くなるの?

「関連痛や!」とドヤ顔で言われても、まったく納得出来んかった。
それで、『骨動かすんやったらカイロかな?』
そう思ったんよ。

それで地元の薄っぺらい地域情報誌に、【カイロプラクティック体験会】っていうのが掲載されてて、早速行ってきた。

オモロいやん(^^)

それでワンデーセミナーに行った。

オモロいやん(^^)

それで1週間泊まり込みのアドバンスセミナーに行ってきた。

オモロいねん!これが(^^)

朝から夕食まで、基礎テクニックをひたすらペアを組んでやりまくる。
先輩先生方と深夜まで酒飲んで成功体験を聞かされる。

最終日、外部との接触を絶たれた俺たちは、思考力を失った状態で、記憶に残る成功体験の話で、気分もハイになり、会長なる人にこう言われた。
「お疲れさまでした!これで君たちも明日から開業できます!」

一同「おーーっ!」とどよめき。

「ただし200万円分の商品を購入するのが条件です。大丈夫です。売れば儲かりますから。絶対大丈夫!患者の治療費に加え、商品販売で簡単に元は取れる!」

高額なマットレスや枕、いかがわしい湿布など、ほとんどの参加者が買いましたよ。
もちろん俺も!200万円分…

あれ洗脳やで。

外部情報を絶って、睡眠不足、成功体験を毎夜聞かされて、思考能力を完全に失ってるもん。

ARC(日本脊椎矯正学会)だったかな。今でもあるのかな?
KCN の○○とかいう会長も来てたから、KCNとARCが合同だったのか、暖簾分けだったのか、分からんけど全健連のパクリやろな。

今から考えると全て分かる。
あの時は無知蒙昧。
25年前のその在庫、未だにあるもんなぁ…嫁の実家に( ´•_•。)
(それに○○、過去にスケベ罪で捕まっとるやん)

日本のカイロのほとんどが、マルチまがい商法やで。

あの時の先輩の言ったこと、未だに耳に残ってる。
「お前ら!しっかり商品売れや!お前らの腕で治せるのか?治されへんやろ!それやったらしっかり商品売れや!」
…とイライラを爆発させて俺らに怒鳴った。

あー売上げ下がってんのね

そう思った。

それからここはアカン所やと思って、すぐに離れて江崎機器主催の勉強会に参加し始めた。

そこはアメリカ帰りのDC(ドクターオブカイロプラクティック)が講師をやっていて、理路整然とした説明も科学的で、すごい納得出来た。
その時そこで東京多摩の高見DC(当時のロサンゼルスカイロ大学でテクニック講師までなった人)に、頚椎アジャストをやってもらった時に衝撃を受けた。

マルチまがい商法のARCの先輩にやられた時は、痛くって痛くってもう二度とアジャストやって欲しくないと思ったんやけど、高見DCはサムムーブといって、親指1本でアジャストするんやけど、それがもうスコーンって感じでまったく衝撃がなくて、まさに撃ち抜かれたって感じやった。

ものすごいインパクトやのに、まったく衝撃がない(意味分からん)から、高見DCに、どうやってんですか?と質問したら、「頚椎が動く瞬間に親指の力を抜いて、衝撃を緩和するんだよ」なんて言われたから俺も「へーΣ(゚Д゚)スゲェ!!」って感心しまくった。

俺に感心されても、仕方ないやろけどな。

それからやっぱり本物から学ばんとアカンわなぁって思ったよ。

ほんで、本物のカイロプラクターのセミナーを行きまくった。
当時結婚してた俺やから、小遣いは2万円。セミナー代はだいたい1万5000円。足らんから、理学療法士の仕事の前に、朝の3時からクロネコヤマトの倉庫で、仕分けのバイトを朝の7時までやって、本業の病院へ向かった。
セミナーのない日曜日などは、日雇いの土方や引越しのバイトをやりまくった。
もちろん本業の方も毎日夜の8時半か9時まで残業して、オマケに週に一回は、そのまま帰らず事務当直もやった。もちろん翌日は普通に働いた。

せやから、今の理学療法士が勉強したい!だけど給料がめっちくちゃ少ないから、絶対無理!とか言うの聞いたら腹立つわ。

そこまで本気やないってことやん。

そしたらバイトは職場で禁止されてるからとか言いよるで。
じゃあな、お前の勉強代とか生活費とかその職場が世話してくれるか?

してくれるわけないやん!それやったら自分でやるしかないやん。

そう言ってやりたい理学療法士が、どれだけおったか…

まぁ人のことは置いといて…

アンテナ張って情報収集してる時に、運命の出会いがあったわけよ。

今となっては伝説の静岡の増田DCよ。

増田DCとの出会いが、俺の治療家としての在り方をすっかり変えてしまった。

その話はまた後日。

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