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特許情報の開示例2023年6月

割引あり

特許情報の開示例を調査した趣旨

 注意: 本稿は個人の研究成果であり、投資を勧めるものではありません。また、所属する団体や研究会とは無関係な個人的見解です。言及する企業の将来性についてなんら保証するものではありません。

 2023年6月20日に公開し、1ヶ月間は全体を無料とする予定です。1ヶ月後、「7. 個別の開示例のポイントと情報源」を有料にします。

1. 特許情報の統合思考

 特許情報の開示の現状を調査した。統合報告書の知的財産に関するページ数が多い、ということは、知財を開示するゴールではない。それは判っているが、その先の目指すべき開示は何なのか、仮説を持ちながら、実例がないか調べた。

 全社の目標と統合的な特許情報の開示が、理想である。

[第1 根拠としての特許情報]

 経営の統合性の第1は、根拠としての特許情報である。例えば、報告主体の企業は、投資家や読者にアピールしたいことを持つ。自社の製品の成長性や、今後投資する方向性の有望さなどである。そのアピールしたい内容の証拠の一つとして、特許情報を開示することは、統合的な開示となる。
 知財部門が、特許情報のみを単に投資家や読者に伝えるのではなく、自社(の他部門)が投資家や読者にアピールしたいポイントについて、裏付けとなる特許情報を提供できると良い。
 Webページではあるが、三甲株式会社、三井化学株式会社、凸版印刷株式会社、ヤフー株式会社、コニカミノルタ株式会社の事例を発見した。

[第2 全社との組織的連動性]

 第2に、知的財産に関する活動が、全社的な方向性に沿っているかどうかがわかる情報を開示したい。取締役会と連動している知財に関する委員会等の会議体の有無や、その会議の開催頻度などである。
 Webページではあるが、森永製菓株式会社、東洋紡株式会社の事例があった。

 統合報告書の知的財産に関するページ数が多くなくても、自社のWebサイトを活用すれば、自社の主力製品についての特許情報での裏付けや、経営計画・自社の長期ビジョン等と知財活動の整合性などを対外的にアピールできる。

2. 財務情報のセグメントと特許ポートフォリオ

 財務情報では、連結や単体の売上高や利益の情報の他、セグメントにわかれた情報を開示できる。地域別か事業(製品・サービス)別の開示が多い。
 地域セグメントや事業セグメントを分析する投資家は、企業を事業のポートフォリオととらえて、多様なリスクの発生に対する強靱性や、複数の事業をもつことによる全社のリスクとリターンの関係を分析するものと思われる。
 特許権などの知的財産権や無形資産は、複数の事業で同時に使うことに対して追加の費用を要さないから、複数の事業で共通して使える技術や無形資産が多いほど、個別の事業の費用構造でみるとその事業単体で参入する他社と比較して低コストとなる。
 水は飲めばなくなるが、知識は使ってもなくならない。このような無形資産の非競合的な性質は、知識社会への移行との関係で、1968年にはドラッカーによって指摘されている。土地は動かないが、労働は流動的であり、資金も政府の規制がなければ高い流動性を持つ、という指摘に続いて、知識の流動性や非競合的な性質を強調している。

 さらに重要なこととして、真の生産要素たる知識には、ほとんど無限の流動性がある。ヨーロッパの生産性を向上させたのはアメリカ企業の投資のせいではない。技術とマネジメントに関わるアメリカの知識のヨーロッパへの移入だった。
 知識とは特異な経済資源である。アメリカからヨーロッパへの知識の移入は、ヨーロッパにとっての純移入であり知識ストックの増大を意味する。しかしアメリカの知識ストックは減少しない。知識を渡して支払いを受ける。アメリカから知識はなくならない。むしろ知識はより豊かとなり、生産性を向上させる。そのようなことは他の資源ではありえない。渡すことによって双方の持分が増加するという資源はほかにない。

P.F.ドラッカー『断絶の時代』[原著1968年]ドラッカー名著集7(上田惇生訳,ダイヤモンド社,2007)p.150

 ジェームズ・C・コリンズ他『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』(日経BP出版センター,1995)は、3M社を事例に、既存の技術を使いながら新たなニーズに対応しようと新製品の開発を繰り返す組織が描かれている(同pp.253 - 283)。技術や製品が枝葉のように伸びていくのは、技術が社内に浸透し、使っても使っても無くならない技術知識を何度も何度も新しい製品へと応用できたことを示唆している。
 技術を事業部が抱え込むのではなく、技術は会社の持ち物という哲学で、技術情報やスキルが社内流通することに、一定以上の投資をしている成果ともいえる。
 現在では、社内の技術群は、テクノロジープラットフォームとして整理されており、新規開発のための技術基盤となっている。
 
 ジョナサン・ハスケル他『無形資産が経済を支配する』(東洋経済新報社,2020)では、無形資産に4つの性質があると紹介している。そのうちの1つが「スケーラビリティ」であり「物理資産は、同じ時間に複数の場所には存在できない。これに対し無形資産は、通常は何度も何度も、同時に複数の場所で使える」(同p.95)と、非競合的な性質を表現している。

 特許法では、発明という占有できない情報財について、所有権類似の権利を設定し、登録を効力発生要件とするなど、二重譲渡を制度的に禁止することで、経済財を創出した、と教えられてきた(中山信弘『特許法』(有斐閣))。特許法は、発明を、占有できない情報財ととらえることで、発明の無形資産としてのスケーラビリティーを確保しつつ、特許権という財産権を創出している。

[第3 共通資源]

 特許情報の開示について、複数の事業セグメントで使われている要素技術やその特許があるならば、技術という知識を自社でスケーラブルに使っている好事例であり、生産性の高さの根拠ともなる。
 事業セグメントごとの特許件数の開示例はあるが、複数の事業セグメントで共通して使っていることの経営的、経済的メリットは強調されていない。
 その他、探し切れていないが、事業セグメントや製品カテゴリーを横断して利用している社内特許群について、無形資産の非競合的な性質、スケーラビリティ、技術は会社のものといった発想で、開示している事例は見つけられなかった。もしあれば教えてください。
 コア技術が発展していく事例は、日本では味の素のアミノ酸技術が判りやすい。食品以外への応用での成果も生み出している。
 ノリタケからガイシや衛生陶器への広がりも、技術が多様な製品分野に応用されてきた好事例の歴史である。

 事業ポートフォリオと共通資源は、特許情報に限らず、自社の個性となっている資源の素晴らしさを伝え続けるために、経営デザインシートとの併用で開示していきたい。この点、セミナー等で引き続き伝えていく。

[第4 地域セグメントと特許ポートフォリオ]

 自社の地域セグメントを意識した特許ポートフォリオや方針を開示できると良い。
 ヤマハ株式会社と三菱電機株式会社の事例を発見した。

[第5 事業セグメントと特許ポートフォリオ]

 自社の事業セグメントの売上構成比などを開示しつつ、何らかの分類で特許ポートフォリオを示せると良い。自社の中長期の経営計画や長期ビジョンと整合した分類であるとなお良い。
 AGC株式会社、株式会社クラレ、本田技研工業株式会社、京セラ株式会社、UBE株式会社、Zホールディングス株式会社など多数の事例を発見できた。

3. 人的資本との関係

 特許データベースで特許データを検索する際、特許出願ごとの発明者名を得ることができる。その特許情報から、発明者が発明している期間や、共同発明の関係や、一人の発明者が扱う技術分野(IPCなど)の数を分析することができる。
 ある製品群に関連する技術開発が、スター発明者の個人によるものか、チームによるものかなどの分析もできる。例えば、鈴木健治「インタンジブルズをゴールに運ぶ人とチームのメカニズム」『WICIジャパン人的資本分科会報告書』p.13に分析例がある。

[第6 発明者数の増加]

 特定分野や、全体的な特許出願の伸びを説明する際に、発明者数の増加に言及する開示例があった。「発明者人口の増加」などと社内のポジティブな変化の証拠として開示されており、興味深い。
 ナブテスコ株式会社、本田技研工業株式会社でそのような事例を発見した。

4. 財務情報として

[第7 ライセンス収入]

 事業セグメントの1つとなる程度に、特許権のライセンス収入があれば、財務情報として知的財産権に言及することとなる。
 海外だが、Ericsson社の事例を発見した。Appleとの訴訟についても開示されている。

[第8 ネガティブ情報]

 財務情報では、リスク(将来の不確実性)として、売上や利益の減少をもたらす可能性についての経営者の認識などを開示しなければならないことがある。
 主力製品の特許権について、存続期間が満了する日付についての開示があった。
 Johnson & Johnson社の事例である。
 知的財産権に関するネガティブ情報は、まず、財務情報として開示していくことが考えられる。

5. 理想の開示例

[第9 短くて良い]

 知的財産(発明)や知的財産権(特許権)に関して、投資家に伝えて欲しい情報は2つしかない。

 ☆新たな発明は新製品になったか(価値創造できたか)
 ☆特許権はその製品の利益率を高め、守っているか(価値創造を長持ちさせているか)

 この2つが短く開示されている事例があった。海外だが、BASF社である。
また、信越化学工業株式会社の知財に関する開示も分量は少ないが十分な伝達がなされていると感じた。

[第10 報告書での自然な言及]

 統合報告書の知的財産に関するページではなく、CEO、CFOやCTOメッセージや、製品紹介などのページで、自然に特許(ポートフォリオ)の存在を伝える開示が理想である。自然な言及ができる企業は、社内の様々な部門で、特許権など知的財産権を経営に活用しようとしているのだろう。
 海外でMichelin(仏)、日本ではAGC株式会社、ナブテスコ株式会社などの事例があった。

[第11 用語定義]

 「知財」は、発明やブランドやノウハウなど知的財産なのか、特許権や商標権など知的財産権なのか、特許情報なのか、特定できない用語である。対話でも、報告書でも、何の話しをしているのかかみ合わなくなることがある。無形資産は会計の用語であり、知的財産法の用語とは異なる使い方もされている。たとえば、のれんの英語はGoodwillで、会計上、無形資産の一つだが、Goodwillは商標法では標章に化体する保護対象(業務上の信用)であり、法律上の権利ではまったくない。

 Ericsson社の開示では、IPRという略語の定義が報告書の巻末にあり、"Intellectual Property Rights, or specifically patents" (知的財産権、または特に特許権)と明確に定義されている。
 知財に関する開示の粒度や正確さを向上させていく過程で、知的財産権という権利なのか、発明など保護の客体なのかを、用語として明確に分離すべきである。

 知的財産部門は、知的財産を生み出せない。生み出すのは研究開発部門やマーケティング、広報などの部門の活動が中心である。それでは、知財部が担う知財戦略とは何か。知的財産権に関する方針や活動であろう。
 全社の経営計画や方針と知財部門の関係性が開示されている企業は、知財戦略ではなく、知財活動という用語を中心的に使っていた。経営戦略があるなら、知財戦略は不要であり、経営戦略を実現するための知財活動をすれば良い。
 知財戦略という用語を安易に使うと、全社的な統合性が欠けている可能性を示唆してしまうことに、留意されたい。
 中計全盛で、長期的なビジョンやパーパスが定められていなかったり、定められていても数年で変化していたような過去には、人事部門や知財部門が独自に長期的な戦略を構想する必要もあったが、現在は、経営そのものに長期性が求められており、経営の長期ビジョンなりパーパスをよく把握し、経営の方向性に見合う知財活動を模索すべき時代である。私見では、知財戦略はいらない。経営戦略、事業戦略を実現していくための知財活動が求められている。
 人事部門や知財部門は独立国を創りたがる傾向が散見されるが、開示やそのための社内対話を通じて、全社的な統合性を高め、自社の特許権や商標権の「他の重要な資源やビジネスとの結合性(コネクティビティ)」を可視化していきたい。

[第12 知的資産・知的資本]

 自社の事業や製品群(サービスを含む)のうち、自社の特許権でその技術を独占できている事例は、実際には、多くない。
 売れ筋のうち、主要な特許権が満了していたり、技術というよりは他の要素で市場での地位を維持できている場合がある。
 ある製品群の特許権を強調して開示すると、別の製品群について開示できる特許権の不存在が発見されてしまう可能性が高まる。若しくはそのような懸念が広がる。このとき、特許権によらず市場で地位を確保できているのであれば、その要因を幅広い視点で探索し、特許権と並列に位置づけ、開示していきたい。
 知的財産権よりも広めに「稼げる強み」「強みを持続させる要因」を探すには、知的資産や知的資本の視点で自社の様々な良さを振り返ると良い。
 また、特許権の存続期間中にブランドを形成し、特許権の存続期間が満了するまえに取引先との契約を新たにし、特許権満了後はブランド力(商標権)によりプレミアム価格を維持するような、時間軸の知財ミックスが考えられる。時間軸での知財ミックスの先進事例はこのセミナーで紹介した。

6. 特許情報の段階別開示

 特許庁「知財経営の実践に向けたコミュニケーションガイドブック」(2023.4)に、現状を確認するためのチェックリストがある。その形式で、開示についてのチェックリストの案を整理した。

[6.1 非財務情報]

Level 3 知的財産権に関するネガティブな情報や、事業セグメントに横断して使用できている知的財産権を開示できている。また、経営者が投資家や社会にアピールしたいことの裏付けとして、そのアピールの記載のすぐそばで自然に特許情報を開示できている。
(第8、第9、第10、第12)

Level 2 自社の事業セグメントや地域セグメントとの関係で、特許権のポートフォリオを開示している。そのポートフォリオは、自社の経営計画と整合的で、かつ、自社らしさのある切り口の区分によるポートフォリオとなっている。セグメントに共通する資源の開示があるとなお良い。知的財産と知的財産権の役割の違いが明確に扱われている。
(第3、第4、第5、第6、第11)

Level 1 知的財産部門を中心とする自社の知財活動について、開示するWebページや統合報告書の枠があり、自社の製品・サービスの市場シェアの高さの裏付けとなる特許情報を開示したことがある。または、取締役会との関係性がわかる組織で、知財活動の方向性を審議する会議体を持つことや、その開催状況が開示されている。
(第1、第2)

[6.2 財務情報]

Level 3 研究開発やマーケティングへの投資額と、知的財産権によるプレミアム利益(率,免除ロイヤリティ料率)の関係について目標設定や検証がされており、自社の事業撤退の考え方の要素に知的財産権による利益率(の傾向)が組み込まれている。知的財産権と将来の利益率の関係性や数字について、何らかの開示があり、特定のまたは一般の投資家と対話できている。

Level 2 投資家やアナリストが自社の将来の売上・利益やキャッシュフローを計算する際に、手がかりとなる、知的財産権と利益に関する何らかの開示がある。特に、シェアの高い製品群についての特許ポートフォリオの存在や、主力製品に関する特許権の存続期間満了日やその後の対応予定など、ポジティブ・ネガティブ両面について、投資家が将来を予測する際に考慮できる情報を開示できている。

Level 1 知的財産権が模倣による参入を防ぐことで、自社の価値創造を時間軸で長持ちさせたり、知的財産権が自社実施の事業の利益率を高める、といった検討はしていないか、していても開示や投資家との対話ができていない。財務情報として特許権やのれんへの言及があるが、どの特許権が該当するかを把握できていない。

7. 個別の開示例のポイントと情報源 2023年6月

 全般として、クライベイト社のTop 100 グローバル・イノベーター2023の国内外のリストを参考とした。
数百社を比較しての選定といった網羅的な調査は、していない

 拝見しつつ、ここにリストアップしなかった企業は20社程度存在する。知財部門の活動として素晴らしい事項が開示されていても、全社の方向性との関係での統合性を見いだせないケースや、将来を予測する際の手がかりとなる情報開示が少ない場合、この私の報告からは除外されている。

 [Web]は報告主体のWebサイトでの開示、[統合報告]p.XXは、URL先の報告書の該当ページの開示である。

[第1 根拠としての特許情報]

・三甲株式会社

 [Web]主力製品と特許件数が開示されている。特許の件数という指標について、三甲株式会社は次のように開示している

 この(特許の)件数こそが、お客様からのニーズを真摯に応えた結果であり、サンコーの技術力であると自負しています。サンコーでは特許を会社の元気度と技術度を測るバロメーターと位置づけ、全社を挙げて積極的に出願を奨励し、毎年最優秀者を表彰し、技術向上に取り組んでいます。

三甲株式会社 Webページ

・三井化学株式会社

 [Web]主力製品の特許ポートフォリオについて開示がある。眼鏡用レンズを紹介するページに、関連特許の情報を一体的に開示しており素晴らしい。


・凸版印刷株式会社

 [Web]主力品と特許の関係まで開示できており素晴らしい。


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