趣味や音楽、写真、ときどき俳句23 懐かしいノラ猫たち
昔、散歩していた時にふと視線を感じたのでその方に目をやると、上の写真のように猫がこちらを見つめていたことがあった。
猫と目が合った瞬間、人間の目線と同じ高さに猫の顔が存在している事態が理解できず、猫の顔だけが浮遊しているように感じられ、思わずヘンな声を叫びそうになった。
あまりのことに驚き、私はギョッとした目(たぶん)で表情が凍りついたまま凝視したためか、猫もかなり驚いたらしく、互いにギョッとしたまましばし見つめあっていた。
やがて理性を取り戻した私は、「なぜその高さに猫の顔が……」と不審に感じ、少し確認しようと塀に向かうと、猫は危機を感じたのか、さっと姿を翻して物音をガタゴト立て、どこかへ身を隠したようだった。
猫がいなくなった塀に近寄り、おそるおそる塀の内側を覗くと、かなりの高さまで物が置かれ、ブルーシートが被せてある。猫はその上に乗って少し首を伸ばし、塀越しにこちらを見ていたのだ。
理由が分かった私は安堵の息のような、ため息のようなものをついて塀から離れ、微妙に残る動悸を感じながら再び散歩を始めたが、後々までギョッと驚いた感覚は消えなかった。
猫について驚いたことは他にも多々あるが、次の猫にも驚かされたものだ。
ある時期から公園に棲みついた猫で、近所の人に可愛がられていた。その猫は小さい頃から人に愛されて育ったのか、公園の人々を全く怖がらず、というより人間がまるで居ないように天衣無縫に過ごしていた。
ある日、夕暮れの公園に立ち寄ってみると猫はちょうど眠りから覚めた頃だったらしく、ゴロンと仰向けになったまま写真のように思いきりノビをし始めた。
人間の私がごく近くに居るにもかかわらず、その猫は腹を堂々と見せてはゴロゴロと喉を鳴らしつつ、やがて写真のようにバンザイの姿勢のまま固まり、なぜか西日を無心に浴びている。
猫にとって柔らかい腹部は急所であり、外敵から守らねばならない部位であろう。いくら人間に慣れているとはいえ、ノラ猫たるもの人間の前でかくも無防備になってよいのだろうか……と猫事(?)ながら心配になったものだ。
塀から顔をのぞかせた猫、公園で天衣無縫に暮らす猫。彼らは1,2年ほどよく見かけたが、ある時から姿を見せなくなり、それ以来、会わなくなった。
そのためか、写真に写っている塀や公園の落葉が溜まっている部分は何となく懐かしい場所になり、たまに訪れることがある。
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(初出:「セクト・ポクリット」2022.2.15)
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