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趣味や音楽、写真、ときどき俳句26-4 愛媛県南予地方と宇和島の牛鬼4

※26-3はこちら


現在、宇和島で催される牛鬼まつりは和霊神社の神輿の先導役を担っており、祭りの最終日にあたる7月24日の昼に牛鬼が市内を練り歩き、商店街アーケードにも入って邪気を祓う。夕方頃になると神社の神輿が出御し、牛鬼が清めた市内を練りながら港へ向かい、御座船に移って海上を渡御する。

日はすでに没し、各所を練り歩いた他の神輿や牛鬼は大量の提灯や篝火で照らされた須賀川に集い始める。川岸や橋は見物客で埋めつくされており、やがて海上渡御を終えた神社の神輿が河口付近に現れ、担がれた神輿が川を遡り始めると町全体がどよめくように盛り上がり、人々は昂揚感に包まれるのだった。

川には高々と御神竹が立てられ(十五メートルほど)、先端に取り付けられた御幣を若衆がよじ登り(御神竹は滑りやすく、高いために御幣まで届かないことも多い)、見事掴むことが出来た瞬間に喧噪は頂点を迎え、それを合図に神輿は一気に神社へ入り、階段を駆け上がる走りこみを見せて和霊大祭は幕を閉じる。

(2015年の和霊大祭の映像(hidenaka11氏撮影)。神輿が須賀川の神幸橋付近に集っており、4:05あたりに神幸橋上の牛鬼の姿が見える。7:00あたりから若衆が川に立てられた御神竹に攀じ登り、10:19頃で御幣を掴み取っている)

こういった大祭の熱気は地元の人々には違和感がないかもしれないが、獅子文六や大竹伸朗氏のように南予に移住した人士には町を丸ごと包む昂揚感が新鮮であり、どこか眩しく感じられたのかもしれない。無論、獅子文六が岩松に住んだのは二年弱で、大竹伸朗氏は移住して三十年以上も経っているため、同列に捉えることはできまい。ただ、南予で生まれ育った人々が当然のように毎年味わう陶酔感と、一歩引いたところで祭りを眺める感触はやはり異なるように感じられ、その点では獅子文六と大竹氏の筆致は近いといえなくもない。

そのように考えると、地元の人々の間でも大祭や牛鬼に対する接し方は多様であったろうことに気付く。例えば、地元の名士だった高畠亀太郎の場合はいかなるものだったのだろう。

亀太郎は挿絵画家で著名な高畠華宵の長兄であり、宇和島の実業家として成功した人物である。政治家としても活躍し、宇和島市会議員や愛媛県会議員、また衆議院議員を務め、宇和島市長としても采配を振るうなど、地元では盛名隠れなき存在だった。

権謀術数渦巻く実業と政治の世界で生き続け、しかも成功を手中に収めた亀太郎には俳句の趣味があり、公務等から身を退いた晩年は句作に耽ることを愉しんでいる。

その彼は、牛鬼を詠んだことがあった。弟の華宵が全国に知られる不滅の挿絵画家として名を轟かせる中(戦後は忘れられた存在だったが、再び脚光を浴びて各地で回顧展が催された)、兄の亀太郎は地元の牛鬼祭を眺めている。

 伊 予 路 ゆ か し 牛 鬼 荒 る ゝ 里 祭   亀 太 郎


上記文章を2022年に「セクト・ポクリット」に発表後、拙著『愛媛 文学の面影』南予編(創風社出版、2022)に大幅に増補して収録した。

初出:「セクト・ポクリット」2022.9.18

【俳句関係の書籍】
これまで刊行した近現代俳句関連の著書です。


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