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趣味や音楽、写真、ときどき俳句

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音楽、写真、大学の授業、俳句その他諸々のエッセイです。サイト「セクト・ポクリット」掲載の拙文をまとめています。
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#猫好き

趣味や音楽、写真、ときどき俳句30 公園の猫たちと竹内栖鳳の「班猫」

夏の朝、近所を散歩していると公園で母猫が子猫に乳を与えていた(写真)。子猫たちは公園の真ん中でのびのびと乳を吸っており、母猫は眼を半ば閉じ、何だか眠そうだった。 その日は5時過ぎに目が覚めてしまい、仕方ないので外を散歩することにした。公園に立ち寄ると早朝だったためか、人影は見当たらなかった。だから猫たちも安心して広い場所でのんびりしていたのだろう。 夏の朝の陽ざしが少しずつ明るさを増すにつれて猫たちの輪郭も徐々にはっきりし出し、その間、子猫たちは無心に乳を吸っている。彼ら

趣味や音楽、写真、ときどき俳句23 懐かしいノラ猫たち

  昔、散歩していた時にふと視線を感じたのでその方に目をやると、上の写真のように猫がこちらを見つめていたことがあった。 猫と目が合った瞬間、人間の目線と同じ高さに猫の顔が存在している事態が理解できず、猫の顔だけが浮遊しているように感じられ、思わずヘンな声を叫びそうになった。 あまりのことに驚き、私はギョッとした目(たぶん)で表情が凍りついたまま凝視したためか、猫もかなり驚いたらしく、互いにギョッとしたまましばし見つめあっていた。 やがて理性を取り戻した私は、「なぜその高

趣味や音楽、写真、ときどき俳句02 猫を撮り始めたことについて

いつしか猫を撮るようになった。 デジタルやフィルムのカメラに凝っていた頃、公園のノラ猫を何気なく撮ると、写真の猫の表情が思ったより愛らしいことに驚いた。猫は前から好きだったが、その時以来、意識的に猫を撮るようになった。 猫を撮り始めたのは、街のスナップや風景写等を諦めたという経緯も大きい。自分の写真があまりにヘタで衝撃が走り、早々に気が削がれたのだ。 そもそも、往事のアンリ・カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のように街の人々の一瞬を切り取るのは至難の業で、それにプライバ

趣味や音楽、写真、ときどき俳句07 「何となく」の読書、シャッター

ものを書き続けて倦んだ時、小説を何気なく手に取って読むのがいつしか愉しくなった。例えば、チェーホフの小説の次のような一節。 こういうくだりを物語からなかば切り離して味わう。厳冬の窓越しから射しこむ陽光の清々しさを思いやり、サモワールが沸騰する響きを想像する。そんな風い味読していると、頭の中がスッとするのだ。 また、こういう気散じの読書をする際に古典はうってつけで、例えば源氏物語の「紅葉賀」巻は幾度読んでも感に堪えない。 天上の楽のような調べが淡く、薄い霧のように身を包む