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趣味や音楽、写真、ときどき俳句

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音楽、写真、大学の授業、俳句その他諸々のエッセイです。サイト「セクト・ポクリット」掲載の拙文をまとめています。
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記事一覧

趣味や音楽、写真、ときどき俳句32 『教養としての俳句』の本作り

  NHK出版が手がける『学びのきほん』シリーズというのがあり、2022年秋にそのシリーズから俳句関連の本を刊行させてもらった。 『学びのきほん』の位置付けは各ジャンルの入門の入門といった感じで、各分野の特徴やエッセンスを一般の方々向けに分かりやすく説く、といった方針である。 ジャンルは幅広く、例えば人類学(松村圭一郎氏)、キリスト教(山本芳久氏)、哲学(若松英輔氏)、料理(土井善晴氏)、読書(高橋源一郎氏)等々が刊行されている。その中に俳句ジャンルも加わることになったと

趣味や音楽、写真、ときどき俳句30 公園の猫たちと竹内栖鳳の「班猫」

夏の朝、近所を散歩していると公園で母猫が子猫に乳を与えていた(写真)。子猫たちは公園の真ん中でのびのびと乳を吸っており、母猫は眼を半ば閉じ、何だか眠そうだった。 その日は5時過ぎに目が覚めてしまい、仕方ないので外を散歩することにした。公園に立ち寄ると早朝だったためか、人影は見当たらなかった。だから猫たちも安心して広い場所でのんびりしていたのだろう。 夏の朝の陽ざしが少しずつ明るさを増すにつれて猫たちの輪郭も徐々にはっきりし出し、その間、子猫たちは無心に乳を吸っている。彼ら

趣味や音楽、写真、ときどき俳句29 スマッシング・パンプキンズと1990年代

  スマッシング・パンプキンズの”1979”を聞いていると懐かしい気持ちになる。 大学時代によく聞いていた曲で、1996年頃にラジオからよく流れていた。確かその年度のグラミー賞を獲得したように覚えている。 私はこのバンド(“スマパン”と呼ばれていた)が好きだったこともあり、同時期に出たCDアルバムを部屋でよく聞いていた。 晴れた日には窓を開け放ち、湧かしたコーヒーを注いだマグカップを机に置いた後、ミニコンポにスマパンのCDをセットする。本棚から好きな本を抜き取って椅子に座

趣味や音楽、写真、ときどき俳句25 写真の音、匂い

昔の旅行写真を見ながら往事を振り返っていると、興味深いことがあった。 上の写真は夏に台湾の九份(きゅうふん)を訪れた際に撮ったものだが、例えばこういう一枚を眺めていると音や匂いが鮮やかに蘇るのだ。 路地は狭く、日覆いで覆われているため、細い路に様々な音――行き交う旅行客の会話や靴音、また店の人の呼び込みの声や店が流している音楽、料理店の皿が重なる音など――が反響しながら入り混じり、柔らかい喧噪を響かせていた。 路地は埃っぽく、両脇の店から流れる料理の匂いや行き交う人々の汗

趣味や音楽、写真、ときどき俳句24 愛媛県の興居島

(初出:「セクト・ポクリット」2022.3.12) ∴     三月になり、陽ざしが春めいてきた。 上の写真は愛媛県の興居島(ごごしま)で撮ったもので、春になると思い出す写真だ。興居島は松山市から船で10分ほどで着き、約1,000人が住んでいる。 個人的に島が好きで、船で渡って島でのんびり過ごしていると何ともいえない幸福感を感じてしまう。それも春に訪れるのが好きで、かつては近くの島に行ったりしていた。 写真の興居島は蜜柑がよく実る島で知られ、降り注ぐ陽光と海からの照

趣味や音楽、写真、ときどき俳句23 懐かしいノラ猫たち

  昔、散歩していた時にふと視線を感じたのでその方に目をやると、上の写真のように猫がこちらを見つめていたことがあった。 猫と目が合った瞬間、人間の目線と同じ高さに猫の顔が存在している事態が理解できず、猫の顔だけが浮遊しているように感じられ、思わずヘンな声を叫びそうになった。 あまりのことに驚き、私はギョッとした目(たぶん)で表情が凍りついたまま凝視したためか、猫もかなり驚いたらしく、互いにギョッとしたまましばし見つめあっていた。 やがて理性を取り戻した私は、「なぜその高

趣味や音楽、写真、ときどき俳句22 鍛冶屋とセイウチ

子どもの頃から折に触れて聴いている曲があり、その一つがヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」(または「愉快な鍛冶屋」)だ。チェンバロ組曲集に収められた曲で、鍛冶屋が振り下ろすハンマーの音にヒントを得たといういわく付きの楽曲である。 確かにチェンバロの旋律を聴いていると、往事の鍛冶屋の音もかくや……と思いたくなるが、実際は創作の逸話に近く、後世に出版された本に初めて登場する話らしい。 いずれにせよ子どもの頃からよく聴いた曲であり、カセットテープをデッキに入れて曲を流した後、再びテー

趣味や音楽、写真、ときどき俳句21 中国大連の猫

大連の猫は眼が青かった。 中国の遼寧師範大学に行った時、早朝に大学周辺を散策していると小さな屋台のそばで白猫がのんびりしており、見ると両眼が綺麗なブルーだった。 人慣れしているのか、近づいても逃げずにこちらを見つめている。私も猫のそばで佇みながら様子をそれとなくうかがっていると、白猫は大きな欠伸をした後に毛繕いを始めた。 中国の人々は朝が早い。私が散歩していたのは6時半頃だったが、多くの人が足早に歩きながら職場に向かっていた。冬の朝は寒く、人々は白い息を吐きながら黙々と

趣味や音楽、写真、ときどき俳句20 ミュンヘンの冬と初夏

ドイツは今年(2021年)もクリスマスのマルクト等が中止になったようだ。 冬にドイツを訪れると曇りの日が続くことに驚く。何というか、陽光が降り注ぐ日々という雰囲気はまるでなく、風は冷たく、日が落ちるのも早い。 どんよりと垂れ込めた雲の下、葉を落としきった枯木は尖った枝を細かく震わせ、人々は暗鬱……とまではいかないが、鬱々とした日を過ごす。 しかし、クリスマスシーズンが近づくと人々の表情は明るくなり、アドヴェントのカレンダーが心に希望の灯をともし、やがて街の広場や路にマル

趣味や音楽、写真、ときどき俳句19 子猫たちのいる場所

同じ地域を散歩していると色々な変化に気づくことがある。道路脇の木がいつの間にか伐採されたり、あるいは老夫婦が過ごす一軒家が空き家になった後、やがて家を潰す工事が始まり、跡地が駐車場になっていたりする。 散歩の途中で立ち寄る公園では春や秋にどこからともなく子猫が現れ、元気な姿を見せることがあった。 下の写真は五月の初夏だったと思う。昼下がりに二匹の子猫が眠気に勝てず、落ちかかっているところだ。この後、白猫は黒猫を落としてしまい、落ちた子猫はビックリしていた。 その子猫たち

趣味や音楽、写真、ときどき俳句18 チャップリン映画の愉しみ方

チャールズ・チャップリン(1889-1977)といえば教科書に載る喜劇俳優で、20世紀文明や社会を批判した”The Modern Times”(1936)や” The Great Dictator”(1940)といった彼の映画は今なお言及されることが多い。 個人的には、チャップリン映画ではそれらの作品よりも”The Pilgrim(偽牧師)”(1923)あたりが好きで、というのも彼のコミカルな動きのキレが堪能できるためだ。 “The Pilgrim”の物語の筋は単純で、チ

趣味や音楽、写真、ときどき俳句17 黒色の響き

マティスの「赤いハーモニー」を観た時、画面に彩られた赤色以上に黒色の艶めかしさに驚いたことがある。つややかで、色気が漂い、肌の滑らかさやぬくもりを感じさせる色合いに、しばし見惚れたものだ。 「黒」の美しさでいえば、台北の故宮博物院で観た調度品も忘れられない。広大な博物院の各展示室の一角に清朝の書斎が復元された部屋があり、その室内の家具や調度品の洗練された美しさに息を呑んだのだ。 (故宮博物館の公式HP)  展示室には、清朝八代皇帝の道光帝――アヘン戦争時の皇帝で、多難な

趣味や音楽、写真、ときどき俳句15 秋に聴きたくなる曲

秋になると聞きたくなる音楽がいくつかある。それは秋から冬にかけて聴きこんだ音楽が多く、少し肌寒くなり、虫の声が澄むように響き始めるとその曲を聴きたくなるのだ。 例えば、リュートの曲やフェルデナン・ソルのギター曲をよく聴いていた時期があり、今も秋にこれらの曲を聴くと秋の澄み通り始めた空気感や、夜長の静けさがしみじみ感じられる気がする。 ただ、これらの曲は個人的に好きということもあり、秋以外にも聴くことは少なくない。一方、秋以外はあまり聴かないが、なぜか10月から11月にかけ

趣味や音楽、写真、ときどき俳句14 「流れ」について

「流れ」に乗ることの重要さに今さらながら気づいた。 人生には、節目になる「流れ」ともいうべき時期が何度かあり、その時にすべきことをするかどうか、またはその時期までに準備したり、修正したりすることで、その後の人生が大きく変わるらしいことを最近実感している。 「流れ」とは曖昧な言い方でああり、「運に乗ることのできる時期」と言った方が近いかもしれない。あるいは「運命がこの人生に形を伴って現れてくる瞬間」とも言えるかも……いや、訳の分からない表現だ。 そもそも、「運」というくく