今年約半分を過ぎた概括 2(Pさん)

 こんばんは、Pさんです。前回に引き続き、今年上半期の note の振り返りをしていきたい、と思いますが……備忘録を兼ねて個人的なクサグサや、振り返りに限らず思いついたことをつづっていこうと考えています。
 この頃、どうしようもなく物覚えが悪くなっています。人の名前を忘れる、小説を読んでいてもどこに何が書いてあったのか忘れる、書名を忘れる、いつ読んだのかを忘れる、そもそも本当に読んでいたのか忘れる、最後の方まで読んでからようやく思い出す、何の目的で読んだのか忘れる、本のことに限らずとも、予定を忘れる、仕事を忘れる……改めて書き並べてみると悲惨なありさま。
 今年やってきたことというのも、じつに重大なことすら覚えていないのではないかという気がしてなりません。とはいえ、手元には note と日記、そしてツイッターのログがあるので、それらを頼りにして、いろいろ思い出していこうと思います。
 note の振り返りという主旨からは外れるかもしれませんが、思い出すリハビリに付き合うと思って、読んで頂けると幸いです。

 一月。僕は毎年性懲りも無く「今年こそは本を読んで小説を書いて……」という誓いを立てます。少なくとも去年、おととしはそうだった気がする。去年だったかおととしだったか思い出せないけれども、「年に百冊読む」という目標を、無謀ではあるけれどもとりあえず立ててみた年もありました。結果、その年に読めた本は二十冊くらいだったと思います。冊数はいいのですが、もともと秩序立てて本を読むタイプの人間ではなかったこともあり、読んだことを記録に取っていない時があって、振り返るのがかなり大変でした。ツイッターに「○○を読み終え(わっ)た」という記述をしているときがあるので検索を掛けて見るが百パーセントではないので日記の方も当たって……という具合に。
 その反省もあり、今年の頭から「読書メーター」というスマホアプリを使用し、読み終えた本を登録していくことにしました。加えて、途中まで読んでいる本があっても他の本を開いてしまい、いつか元読んでいた本のことを忘れてしまい……という悪いクセを見直し、意識して今読んでいる本をとりあえずは読み切るようにしました。そのかいあって、一月のうちに早くも五冊ほど読み終えることが出来、二月も合わせると十冊、読書メーターに登録することが出来たのですが、これには少しトリックがあり……
 要は、読もうとしている本の中でもとりわけ短い本や、それから既に半分以上読んでいる読みさしの本などを選んで集中して最後まで読む、ということをしていたわけです。見栄を張るつもりもないのですが、そうして冊数を盛ることによって自分に対してハッパを掛けることには成功したと思っています。
 一月、二月に読んだ本の中では、田中小実昌の『アメン父』、バタイユの『非-知』などが印象に残りました。
『アメン父』は田中小実昌という小説家、翻訳家の実の父が神父をやっていたのですが、それが通り一遍の神父ではなく、かなり特殊なあり方をしていて、そのありさまを手元の資料をもとに浮かび上がらせる……という主旨の、伝記? ノンフィクションなのですが、その語り方、話の運びがまた独特なので、気になる方は読んでみて下さい。
『非-知』は、二十世紀前半で大きな影響を与えたフランスの思想家、ジョルジュ・バタイユの、未完というかまとまった概念、一冊の書物になりきらなかった概念の一つである「非-知」、要するには既成の知の秩序には当てはまらない、例えば非言語的、例えば単なる感情の爆発(理不尽な爆笑、性的な体験、ひどく涜神的で非倫理的な体験など)、それらの連鎖が、別様の知を形成している、といったようなことを説く内容なのですが、読み終わって少し遠ざかっているととたんに説明しづらくなる込み入った内容でもあり、これも今ここでは汲み尽くせないものがあるので読んでみて頂くしかないかと思います。
 それにしても、こういうことを説明して魅力を伝えようとするさいに、どうしてもその手前にあるていどの共通了解のようなものが必要になるのを感じ、これをどうしたものかなあ……と思ってしまいます。
 一月のその他の出来事としては、この note に先んじて連載をはじめた「生存書簡」の発足、自宅の本棚の五台目を組み立てる、中川家の漫才にハマる、高田馬場の美味い串焼き屋で舌鼓を打つ、などしていました。日記を読み返すと総じて暗い。仕事もうまくいかず、というか当時のポジションにいることに煮詰まっていたりした。三月に控えている二つの短篇の締め切り(しかも結局、掌篇程度の長さにしかならなかった……)のプレッシャーに潰されて読み書きに関してもうまくいっていなかったようだ。
(長くなったのでまだ続きます。)

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