今日の日記の公開(Pさん)
これは、僕が常日頃つけている、何年か分の、ルーズリーフに綴っている日記の一部である。今日書いたので、他に書くこともないし、久しぶりに長めに書いたので載せることにした。コロナに関わる焦りみたいのも、とりあえず公開する意図もなかったので、正直に書いたのでそういうものも滲んでいると思う。というか、これは朝方に書いたので、今日のことは書いていないが、最近の気分全体が乗っているには乗っている。では、どうぞ。
ついに、連休最終日が来た……
毎回、休日が来る度に、「今日はたかだかこれくらいのことしかできなかった」と思うが、今回はそれが六日分、連続してそれが訪れたということで、思えば、行動様式やルールなど、一つも決めないまま、何となく、本を読む、字を書くと心の中で思っていただけなので、当然といえば当然かもしれない。
何日目か忘れたけれども、雨が一時的に降った日に、〇〇駅まで行く○○線の途中にある植木屋で、エバーフレッシュの次ぶりとなる、小さいヤシ、テーブルヤシというのを買った。これも、すごく育てやすいと書いてあったけれども、エバーフレッシュの件があるから、警戒している。水もやり過ぎても、やらなすぎても枯れる。一回、ガジュマルくらい育ってくれれば、あとはやりやすいのだが、あるいは、見た目に少しでも成長する素振りがあればいいのだが……
その植木を持って大戸屋に行った。大戸屋には、常に六人くらいの客がいた。大戸屋にしては多い方だったように見えた。
そこでネバトロ混ぜごはんみたいなものと、ソバのセット、ハイボールを食べて飲んだ。ソバというものがうまいことを、今更のように思い出した。また、スーパーで、その二八ソバを買って、今家に置いてある。
その日、その前に、いつも通りかかるだけの老舗っぽい焼鳥屋に入ろうと思ったけれども、当たり前のように、持ち帰りのみの営業になっていた。その他、閉まっている店舗は、かなり多かった。印象的には半分くらいだった気がする、そこまではいっていないかもしれないが。
今日、いや昨日の夜か、安部ソーリの緊急事態宣言と、それを受けての小池都知事の会見があった。で、それを受けて、いよいよ今日は外の様子が違うものになるだろう、と、思ってさっきパンを買いに行ったけれども少なくともパン屋含めて駅前の雰囲気はそれほど変わってもいなかった。この記録が、今後何かに役に立ったりするのだろうか。いつかの暇つぶしくらいにはなるかもしれない。
この「パンを買いに行く」というのは、僕が基本的に休みの日に自分に課しているルーチーンのようなもので、休みの日は、起きて、顔を洗うなり、歯を磨くなり、鳥に餌をやるなりした後で、ひと段落したのちに、朝食として必ず決まったパン屋に行って、たいてい同じパンを買い、帰ってきて、そのパンを焼きながらコーヒーを淹れて飲み食いするという習慣の、そのパン屋を指している。そのパン屋は、コロナウィルスの騒ぎが、今ほどではないものの、立ち上がった時に、まずどこでもやっていることだが、入り口にアルコール系消毒剤を置き、手指消毒が出来るセッティングをしたうえで、パンの上から、何だろう、塩ビみたいな感触の、透明なビニールの垂れ幕をかざすようになっていた。その対策が講じられたさらに後に、最近ではある種類のパンは、今まで見たことがなかったが、個包装するようになっていた。
時間を、どこかで止めることはできるのだろうか。マジメに考えてしまう、何度も過ってはしまうほどに、今の現状というのはジワジワとやりづらく、時間が経たないのがもどかしく、あるいは前に過していたノンキな日常というのがノドから手が出るほどうらやましい。経済的影響というのは、まだ実感が出るほどは変わっていない。いくつかの古本屋が潰れたという知らせがあり、かなり悲しくはあるものの、心底から驚くということはなかった。いずれにしろ、綱渡りのような所があった。これから、さらにひどくなるのだろうか。職場でパンデミックが起こる。これが考えうる一番の災難だ。(略)心底から、落ち着いて達観しているのは、山下澄人ただ一人だけだ。
その日、というのはテーブルヤシを買った日に戻る。(略)ウサギさんから連絡が来た。(略)居酒屋みたいなところで話したぶりだった。(略)世の中いろいろなことがあって久しぶりのような感じがした。(略)
そんな風でその日は暮れた。たぶん二、三日目のことだ。
一日目は、本当に何をしていたのか思い出せない。
(略)
とにかく何かをしていなければ、狂いそうな毎日である。
ここまで載せたけれども、本当はなるべく全体的に載せるつもりだったけれども、あまりに個人的な、あるいは他の人も含めてプライベートな内容も含まれていたため、半分くらい削らざるを得なかった。個人的な言葉というのも大事である。いままで、noteばっかり書いていれば、いずれは文章力みたいのが上がると思っていたけれども、自分が今思っていることを、そのままの形で、鏡でも見るように振り返る、という個人的な作業も、また必要であり、何かの整理をする作業上、不可欠なもののように感じられた。
最近、そういうことをすることをさぼっていた。
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