Pさんの目がテン! Vol.27 E.M.フォースターから見た「ヴァージニア・ウルフ」2(Pさん)
(前記事)
以下、ヴァージニア・ウルフの「E.M.フォースターの小説」と、E.M.フォースターの「ヴァージニア・ウルフ」とを並べて書き写してみる。
同時代作家の作品を批評することを妨げる理由はたくさんある。明らかな不安――感情を傷つけるのではないかという懸念――のほかに、公正であることの難しさもあるのだ。同時代作家の作品は、一つずつ出版されるので、ゆっくりと現れてくる意匠の部分々々を見ているようなものだ。私たちは熱心に評価するが、好奇心のほうが大きい。この新しい部分は、先に出版されたものになにかを加えるだろうか? その著者の才能について私たちが抱いている推測を裏書きするものだろうか、それとも、私たちは予測をかえねばならないだろうか? そのような問いが、私たちの批評の静かな面であるべきものを波立たせ、議論と質問で満たしてしまうのだ。ミスタ・E・M・フォースターのような小説家の場合には、特にそうである。というのは、彼はどのみち……
(ヴァージニア・ウルフ「E・M・フォースターの小説」)
この講義の講師としてご指名をうけたとき、私はしきりにヴァージニア・ウルフの仕事のことを考えていましたので、それについて話させていただけないかとお願いしました。ウルフの仕事全体についてまとめるというより、作品に即してお話しするのです。まとめるとなると、ふたつ障害があります。ひとつは仕事の内容の豊かさと複雑さです。ブルームズベリーの病弱な婦人という、アーノルド・ベネットがじつに素朴に信じていた伝説を斥けたとたん、私たちは見出しになるような手掛かりが皆無にちかい世界でうろうろすることになります。『波』のことを考えて「そうだ、あれがウルフだ」と言い、『普通の読者』を考えるとこれは違うと思い、『自分だけの部屋』や『婦人共同組合員たちの生活の現実』につけた序文を考えると、これはこれでまた違うと思う。彼女は、まるで、きちんとした立派な花壇――
(『フォースター評論選』、「ヴァージニア・ウルフ」、213-214ページ、割注略)
どちらもどこかを抜き書きしたわけではなく、冒頭をそのまま抜き出して並べたのである。出だしはどちらも似ている。「私には今、彼/彼女を評価する資格がないかもしれない」。要するにはそういうことが言いたいのである。
E.M.フォースターの方の評論について言うと、これは、先に触れた、ヴァージニア・ウルフの入水自殺の直後、というのも二か月後あたりに請われて行われた講演であるということである。「この講義の講師としてご指名を受けた」とは、どういう講義なのだろうか。僕の記事の全般についての言い訳にはなるが、これらのことは、多少調べたら出てくるのかもしれない。しかし、今それについて調べていない。それは、あえて無知な状態から想像することが何か想像力の羽ばたきみたいなものを掻き立てるからだとか、その他想像というものに対する期待があってのことではない。なくはないかもしれないけれども、それよりも単に無知であるから別段正確なことは僕には語りえないという諦めであったり、毎日更新する都合上、いちいち本当に正確な所を押さえながら進むことが出来ないという現実的な束縛があってのことであるという方が大きい。
実証的に作家を追えば追うほど、何が実証的なのか? 作家が何をもとに発明家のように発明して作品を書き始めたかなど、わかろうはずもないというのが身に染みてくる。
である以上、その周辺にある、誰がいつ、何日にこれを書いたからこの作家はこれこれのことを実際に知ることは出来なかったはずであるとか、この出来事に対してこの作家に与えた影響は僅少であるとか甚大であるなんて言っても、それが脳のスパークにどう関係したかなんて、結局のところはわからないんであるからむなしいというのが僕の世界観である。
最初の疑問に戻ると、「この講義の講師としてのご指名」とは、どういった講義なんだろうか。ヴァージニア・ウルフが死亡したということに関しての講義なんだろうか。それとも、英文学についてとか、その他タイムリーではあるけれども英文学について触れるようなアバウトな題目だったんだろうか。(続く)