増殖する視線(Pさん)

 ワイヤレスイヤホンを買った。
 奮発して、価格帯の高めのものにした。
 少々高かったが、日々の音の喜びには勝てない。
 これで、イヤホンの紐とマスクの紐のどっちが外側か分からなくなって、コンビニの店員に「袋いりますか?」と聞かれて答えるためだけに一旦外すときに引っかかるとかいうことがなくなる。
 まあそれだけだったら買う価値があるのか微妙だけど、スマートフォンで使うことを考えて、本体を放って別の場所に行けたり、動きが制約されないのはかなり便利だ。
 リュックに腕を通すときも、一旦外して外側に回すとかしなくていい。寝る間際になにか聞くときに、コードが絡まってくることもない。
 しかし、寝る間際にワイヤレスイヤホンをつけているのは、かなり危険かもしれない。なくすので。

 書店に行って、金原ひとみの最新刊と、宇佐見りんの「推し、燃ゆ」を読み比べて、時代の最先端とされる作家の変遷を見たようでなんともいえない気分になった。
 今の小説は、SNSを使う人間の内面を描かなければ読まれないんだろうか。
 あと、時代が持ち上げるもののあまり中身のなさというか、ものすごい勢いで絶賛している人などがいたとして、それが多少なりとも作品の質を保証するということもないのだなということに気がついた。
 別にサクラがいるとかでもないだろうに、こんな現象が起きる。それこそ消費社会における視線の効果だ。人は今の世の中だと、自分が何を見ているのかを誰かに見せる、あるいは誰かが何を見ているのかを見る、ということがどうしても気になってしまう。羨望を原動力にして動いている。不毛にも思うけれども……。

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