Pさんの目がテン! Vol.82 行きつ戻りつ、この本 ピエール・デュピュイ『ありえないことが現実になるとき』2(Pさん)

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 ほとんど一年ぶりにこの本に戻ってきて、これを書いている。
 改めてこの本のあらすじを書くとこうだ。

 日本は、2011年に、自然災害もあるが、何より自分らの作り出した文明そのものによって、壊滅的被害が生じてしまった。壊滅的というのは、何十年という「あっという間」のことではなく、この先、何百年という期間、背負わなければならない負債を負ったということで、しかも、それは全人間に対する被害というだけで済んではいない。
 という、これだけの事態に対して、もう少し考えてみなければならない、というのは余談として、そういう、明らかにこの世の終わりのようなことが起きる、あるいは起きてしまった(次に挙げるのは、もう後戻りできない段階にまで来てしまっているように見える地球温暖化とそれによる気候変動である)「リスク」に対して、人は(文明全体は)どう対処すればいいのだろうか、ということに関して、危機をあおるのでもなく、また楽観するのでもない道を探すということをこの本はしている。
 カギとなるのは、イヴァン・イリイチという研究家が示した「逆生産性」という概念だ。
 シンプルな数式として、まずあらわされる「逆生産性」という概念。人は車を手にして、逆説的に、移動とその周りに生じるコスト、労力その他を増やすことになった。減らしたのではない。このことを、感情的である「害のある文化を捨て、かつての自然へ戻れ」といったスローガンではなく、計算によって証明して見せた。
 イリイチは、その他のいくつかの分野について、文明が進み過ぎて、「能動的」生産から「受動的」生産に切り替わったときに、この「逆生産性」の法則が確実に働くということに言及し、翻って、なぜそんなことが起きるのか、文明というのが何を忘れたことによってこんな本末転倒なことが起きるのか、という意味論的な所にも切り込んでいく。
 いくつかの分野のうちの医療は、人の生死、生きるという意味付けに関わる技術的分野である。ここで、医療にまつわる逆生産性という所では、死と痛みを可能な限り遠ざけるいくつかの技術について触れている。死を追いやるような医療的行為がなければ、人は残りの時間を健康的に過ごすことが出来る、延命的治療が、人の健康を脅かしている、とまで言っているのである。
 自然な死というのは、線引きも、意味付けも難しい。しかし、気がついたら振り返ってみれば人はいつの間にか無理に生き延びようとしている。何でこんなことになったのだろうか。

 対照的な言葉を、最近ネットニュースで見付けた。ベルギーの、天才少年が、11歳で物理学の博士号を取得したというのだ。
 で、その11歳の天才少年の夢というのが、人間を技術によって不老不死にするということだった。

Immortality(不死)が私の目標です。体の部位のできるだけ多くを機械部品に置き換えられるようにしたいと考えています。そこに至るまでのロードマップはすでに描いています。

 その技術を生み出すことは出来るのかもしれないが、その帰結を、この天才少年は考えているのだろうか。
 いや、冷静に考えて、量子物理学をどう生かせば人間の不死につながるのだろうか……。

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