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人間はこういう面倒なことをどうしてもやりたいのだろうな

ピアノの調律に来ていただいた(写真は3年くらい前の時のもの)

スマホひとつで音楽ができてしまう現代において(その背景に膨大な技術の蓄積があることはさておき)、一つ一つの音を出すのにこれだけ大掛かりな装置が必要なものが現存するということは化石かもしれないくらい貴重なことなのかもしれないけど、この装置を見るたびに思うのは、
毎年書いてるけど、
人間はこういう面倒なことをどうしてもやりたいのだろうな
ということです。
他の楽器も、手織りも然り。

と書いて、西川はるえさんのこの記事のことを思い出した


このピアノが我が家に来たのは昭和57年。
調律師さんとピアノ談義を少ししていて、色々の流れで、このピアノはちょっとクセがあるけどそれも個性、大変しっかりした作りのピアノですよ、と仰るので、わかる、YAMAHA や KAWAI とちょっと違って、鍵盤がとても重く感じるし音も違うように昔から思っていたけど、私は自分が小学生の頃からこのピアノを弾いているので、このタッチが好きで、愛着がある、確か色や雰囲気が他と違って気に入ったのだったような気がする、と言いながら、泣きそうになった。あれから実に40年もの時が経っているのである。


隣には織り機があって、
織り機も同じだなぁと思った。

調べてみて、こんなブログ記事を見つけた

https://kamakurapiano.jp/2013/09/06/アールウィンザーというピアノ/#.YxF2zS33J0s

例えば機械一律生産で人の手が全く介入しないものづくりがあったとして、それでも一つ一つ個性が出てくるものなのだろうか?もしくは、AIなどの技術によって、人の手が介入したかのような個性と、経年による熟成が生まれる可能性はあるのだろうか?

ピアノのすごいところはもう一つあって、ピアノの中に「検査カード」というのが保管されていて、生産時の塗装・整律・出荷調律・出荷検査・納入検査、から始まり、調律した人の名前と日付が全部記録されている。
もちろんそれは手書きなのだけど

今ある技術で、例えば着物地や私の織った帯などにも、そういう「記録」〜誰がいつ織って、誰がいつ仕立てをして、誰がいつ購入して、そして誰がいつ何をしたか?〜を積み重ねていくことは、もう充分にできるだろうと思うが

そうしたことが、誰かの何かの利権や商売のためばかりでなく、何かこう、何十年、何百年も先の人類〜がそれまで絶滅していないと仮定して〜に何かを託すような、ロマンのあることに繋げられるならとても面白いし、やってみたい。

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