見出し画像

何もしないことが唯一の出来ることだった日々。その意味を知りたかった。

10年ほど前のことです。重い話になります。

当時、ICUで看護助手のパートをしていました。リネンのお洗濯をしている時、その病院に入院している友人に偶然会ってしまったのです。

彼女はPTAの役員で知り合い、とても社交的で明るく元気な人でした。

その彼女が大きな手術をして入院しているのですから、びっくりしましたし、そのことを誰も知らなかったのです。

彼女の明るさや社交性は、辛い過去を紛らわせるものでした。彼女はまわりを信用できず、入院も変な噂になるのが嫌だからと口止めされたのです。

私は特別仲良しだったわけではないのですが、似たところもあり、気が合いました。

誰にも言ってないわけですから、誰もお見舞いに来ません。私はパートが終わると時間の許す限り彼女に会いに行きました。

担当の先生も彼女の様子を見て、私がいることを許してくれました。

たくさんおしゃべりをした次の日、職場に行くと、ICUに彼女がいたのです。

私は、この状況を私だけが知っているという事実が辛くなってきました。私より仲の良い人がいるだろうし、誰か、他の人に伝えたいことがないか何度か聞きましたが、何もないと言うばかりです。

私が、私なんかが最後に彼女のそばにいる人でいいんだろうか。何か、できることはないだろうか。考えても何も浮かびません。看護師さんには、笑顔でたわいもない話をしたらいいと言われ、元気だった頃と同じ話をしていました。

意識がなくなってからも、時間がある限り彼女のそばにいました。先生も看護師さんもそっとしておいてくれました。

ある日、彼女は旅立ちました。

突然のことに動揺する私より関係のあった人達を見て、私だけが知っていたことにどうしようもなく申し訳ない気持ちになりました。

彼女を大切に思っていた人達を裏切ってしまったような気持ちになったのです。

大切にすべきは彼女の気持ちで、約束を守ったことは間違ってないと胸を張って言えるけれど。

誰かに、どうして私だったのか教えてほしいと思いました。

優しい友人は、「きっと神様に選ばれたのよ。そういう運命だったのだからそれでよかったのよ。」と言ってくれました。

担当の先生からは「ありがとうな。」と言われました。

私のいた意味はあったのでしょうか。

彼女にとって私と出会ってしまったことは良かったのでしょうか。

何もしないことが唯一の出来ることでした。


最近の気づきのなかで、やっと、何か大きな力が巡り合わせてくれたことなのかもしれないと、素直に思えるようになってきました。

だから、きっと意味があるし、私で大丈夫だったはず。と。

少し、先に進める気がしています。そして、そう思えるようになるきっかけをいただいた、たくさんのご縁を幸せに思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?