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子どもと大人は学び合う。

10年くらい前、娘が小学生のころに、娘の図書カードと教科書がなくなるということがありました。犯人は、なんとなくわかっていましたが、犯人探しのようなことはなく、先生から、申し訳ないという話がありました。

その時、先生は慰めるように「ハンコでいっぱいの図書カードに嫉妬したのかもしれません。」とおっしゃいました。それを聞いた娘は、まぁ嬉しそうに「そんな、わたしに嫉妬するようなことがあるのかなぁ!」と言ったのです。

びっくりしました。誰かに悪意を持たれてるという思考よりも、「わたしって嫉妬される素敵なところがあるのね!」って照れてるのです。

ネガティブ思考のかたまりから、なぜこんなポジティブが育ってるのか。自分のネガティブを否定するあまり、ポジティブにならざるを得ない感じなのか?

泥沼のようなネガティブは、ポジティブな子どもですらネガティブ目線で分析し、ポジティブ過ぎやしないかと心配し、意味不明な事態に陥りました。

大学生になった娘は、今でも、ものごとの良い面を見ることが得意です。ただ、時々わたしがネガティブを持ち込むので、完全なポジティブ思考ではなくなりました。

これは、お互いに学び合っているというポジティブな結果だと思っています。

娘にとってどうだったかを考えるとネガティブになるので、そこは、娘に丸投げしておきます。

結局、未熟な母だと思い知る。

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