最後にリボンを結んでもらったのはいつ?

 昔々、飲んじゃダメな麦茶がありました。


 
 飲んじゃダメなことがわかったのは、ばあ様が飲みこんで三十分たったあとでした。

 そのあとじい様がばあ様のトイレ部屋間往復運動を運動量換算したところ、一羽の兎が月までひとっ飛びできるくらいのものだったとわかったのは、飲んで三時間経った後だったとさ。

 
 私が、宇宙船に名前をつけるなら絶対ジャンヌダルクってつけたいんですけど、どう思いますか。
 もしもそこから救難信号が響いたら、今度は助けてあげられるかも知れないんですよ?私だったら何がなんでも迎えに行きます。なんなら時空歪めます。

 そしたらジャンヌに、今度はリボンを結んであげるんだと決めた私は最後にリボンを誰かに結んだのはいつだったろうと考えます。
 たぶん、それは春先、同級生にちゃちゃっと一発キめてやったのが最後かな。
 私の方は現在髪がスーパー短い上に直毛なので、結べてゴムとかです。従って誰かに結んでもらったのは、髪を切る前の去年とかです。

 自分で贈り物とかも作らないので...と思ったけどバレンタインを忘れてました。

 毎年リボン結んでおりました。

 完全に忘れていました。最後にリボンを結んでもらったのはいつ?という問いかけから、リボンを結んでもらう、結んであげる機会が減った私は、十年後リボンを何のために結んでいるだろうと締め括ろうと思ったんですが、止めました。
 どこかできいたことがあるし、どうせ十年後も元気に根回しやってるだろうなと。

 角度を変えます。
 どうして根回しをするのか。私はそのとききっと誰かとの縁を結び直すのです。モノで。
 ずいぶん冷たく響きましたが、大学生というモラトリアムのなかでモノをあげるというのは惰性や合目的性よりも、その人が好きだからという側面が強いので、私の中では暖かいものだと思っています。

 本当は何もあげなくたって、繋がっていける人間関係が素敵だと思っています。しかし、私たちの関係にだってエントロピーよりも複雑な乱雑さがあるのでどうなるかわからないのです。
 だから好きならば態度で示そうよ、的発想ですね。

 私たちはそういう、いくらだってほどくことのできるリボンを結んで...

 これもあまりよくない終わり方のような気がします。内容が雑な上に、使ってる言葉も小難しいし、なんだかすっごい腹立つので。

 お腹が痛くなってきて仕方がないので往復運動に戻ります。

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