婚姻編 30回目 参拾参
「結婚」と「出産」は必ずしも一致しない。
というのが現代の認識です。
が、これまで多くの文化圏において、
結婚と出産は、セットのものとされてきましたし
今でもそのような制度のところが多くあります。
それは、倫理的な問題もありますが、
一番は、血縁の確定における明確な基準の
設定が、行政機能として必要であったからです。
どこに、だれが、だれと、いつから、
どこに、どれだけの人が、どのくらい、いつから
といったように、国が行政機能として
国民を管理しようとする場合、正確な基準が
なければ、行政機能を発揮することができません。
正確な人口の数字がなけば、徴税も、予算も、
政策も、正確にすることができないからです。
その意味で正確に人の動きを把握するため、
婚姻届も、出生届も必要になります。
最近ではDNA検査という科学的知見において
「親子間の特定」という事が高確率で確定することが
できるようになりましたが、
そういった手法が確立されるまでは
科学的な手法として用いられていたのは長い間、
血液型などの限られた方法しかありませんでした。
あとは、顔が似ているとか、身体的特徴が一致するとか、
他人の五感を用いた判断方法くらいしかありません。
そこで、人によって異なる判断に頼ることなく制度としての
機能性を確立するため、ある一定の基準期日と、発生事実を
組み合わせることで出生した子供の血縁関係を確定するため
の基準が設けられました。
多少の前後があれど、妊娠から出産までの期間というものは
ある程度決まっています。
人種や、体形などの違いはあれど、極端な違いはありません。
その意味で、母親と子供というのは、それほど難解な基準を
用いずとも、親子関係というのは簡単に成立します。
いわば、出産という事実さえあれば、それこそが証明のなにもの
でもないからです。
そして、男性が出産することは、現代科学においてはない。
とされていますから、「女性」が「子供」を「出産」すれば、
子供は女性(母親)から生まれたといえるからです。
もし、出産した事実と、子供が一致しないということであれば、
それは、出産という事実が間違いか、子供がその出産では生まれて
いないか、という違いだけです。
(もし、出産せずとも子供が誕生したり、男性が子供出産したり
する事例があるのであれば、私が無知なだけですので、ご了承ください)