ジャッピーノと... 〜なんとなく、オリエンタリズム〜その4

以前、在比の日本人の方との会話で、日本人とフィリピン人との間に生まれた子供はジャッピーノという蔑称で呼ばれることがある。。。という話題になった時、こっちが聞きもしないし、その時の話題に全く関係ないのにいきなり、
「韓国人とフィリピン人との間にできた子は「コッピーノ」と呼ばれててね、今ものすごい数いるらしいよ。。。」
と切り出されたことがある。
僕は凍りついたけど、頭の回転が悪く反応が鈍すぎるグズな僕は適当な返事をして流してしまったことを今でも心から後悔している。
流石の僕もコッピーノの事は聞いたことはあるし、日本と同じような経済発展を辿る韓国とフィリピンとの関係を考えるとその存在は想像できないものではない。
それにしても日本にとってネガティブな要素を含む話題になった時の彼の言葉の唐突さ、強引さ、恥ずかしげのなさは、日本で日本人が日本の歴史を覆い隠し韓国の人を誹謗中傷する時に使われる下劣な態度そのものだった。

その日本人氏は旅行者やテンポラリーな留学生ではなく、「ベテラン」と呼ばれる長期滞在者で経済的にも余裕がある。ある面では識者・知比家と呼ぶこともできるだろう。
フィリピンにはまだまだ貧しい人が多い。
フィリピン人を使った(日本人男性にはお馴染みの)小商いをフィリピンで営む氏のもとに集まるフィリピン人で彼を悪くいう人はいない。
物事の善悪よりもとにかく今日を生きるお金なのだろう。

僕は「貧困」というものの本質的な醜さを思い知ったと同時にオリエンタリズム的な考えが執拗に残っている様をフィリピンで見たような気がした。

日本が日本の立場から歴史を見るようにフィリピンはフィリピンの目線で歴史と対峙している。フィリピンが帝国主義国家との経済的従属関係から「独立」したとき、それらの国にどんな視線を向けるのだろうか。

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