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新品の靴〜映画Barcelona 僕が伝えたかったこと。

コロナ前、今から4年ほど前にフィリピン映画Barcelonaの上映会を大阪で開いた。
ストーリーは建築家を目指す青年エリーが出稼ぎに行ったきり帰ってこない母の暮らすスペインに自身も留学、通っていた大学のあるバルセロナで、エリーは昔フィリピンで犯罪に巻き込まれ死亡した元カノそっくりの女の子ミアに出会う。
ミアとの出会いが元カノや母親へのわだかまりを解き、最後はハッピーエンドとなる。
典型的なフィリピンのエンタメ作品、アイドル映画だ。

上映会でこの映画を選んだ理由は、
フィリピンの出稼ぎ事情が描かれていること(劇中エリーが居候するオバさんもスペイン在住の出稼ぎフィリピン人、彼自身も観光ガイドのアルバイトで得た収入を時々本国に送金している)。
フィリピンのトップスター ダニエル・パディーリア(Daniel Padilla)とキャスリン・ベルナルド(Kathryn  Bernardo)が主演していること。
フィリピンの若者の恋愛が描かれていること。
フィリピンで大ヒットしたエンタメ作品であること。
この四つだった。

当時すでにフィリピンの映画は日本でも結構注目を集めていたけれど、ほとんどが社会派作品、インディーズ作品だった。日本では映画に限らずフィリピンの音楽もとにかく「インディーズ」とされるものが人気のようで、メジャー作品はあんまり注目を浴びてなかった。
インディーズ作品ももちろんフィリピン映画なのだけど、映画が国民的娯楽となっているフィリピンでも一般の映画ファン(映画をよく観る人)はこの手の映画にほとんど注目しない。フィリピンでそういう作品に関心があるのは映画関係者か社会活動家、もしくは、かなり熱狂的に映画を観ている人がほとんど。
やっぱり一般庶民に人気があるのはスターが登場するエンタメ作品だ。
僕はインディーズ作品ももっとフィリピンで日の目を浴びるべきと思っているけれど、国外で、フィリピンではほとんど観られていないインディーズ作品を集め、「フィリピンの映画」として注目を集めているのに???と思っていた。
というのは、日本に出稼ぎに来ている人のほとんどは、いやな言い方だが中〜下層階級の人で、比率的にはフィリピンの人口の大部分を占める。彼らが観ているのはディアス監督作品でもタヒミック監督作品でもブリリアンテ・メンドーサ監督作品でもなく、Barcelonaをはじめとしたエンタメ作品だからだ。
多分、日本の映画祭で上映されるような作品の話を日本にいるフィリピン人出稼ぎ労働者に言ってもほとんど話が噛み合わないだろう。
ということで、僕はいかにも彼らが観そうなタイプの作品を選んだ。
彼らに、Barcelona観たよ、といえばそこからスターの話や出稼ぎの話、恋の話、いわゆるフィリピンでフツーに交わされる話題で彼らとの会話・交流が広がるんではないかと思ったからだ。

そういうわけでBarcelonaを上映したのだけど、字幕つけの作業で、1箇所だけ原作にないセリフをあえて付け加えた箇所がある。それが「新品の靴」という部分だ。

これは、映画の後半、バルセロナのレストランで母とエリーが口論になる場面で出てくる。

(母はエリーが小さい頃にスペインに出稼ぎに行き、お金はもちろん衣服などいつもいろいろなものを送っていた)

エリーは母親に言う
「ママは言ったよね、
ちゃんとお勉強しなさい、そうすればママはすぐ帰るから・・・
早く寝るのよ、そうすればママはすぐ帰るから・・・
ママの言ったことは全部やったよ!だけどママは帰ってこなかったじゃないか。お金も送ってもらった。「新品の靴だって」。だけどママは帰ってこなかった。。。」

グッとくるシーンだけど、実はエリーは「新品の靴」とは言っていない。
「お金も靴も送ってもらったよ・・・だけどママは帰ってこなかった。」
というのがオリジナルのセリフだ。
僕は、フィリピンの子供にとって外国に出稼ぎに行っている親や親類から送られてくるものがどんな意味を持つのか、を上映会に来た日本の人に知って欲しいと思い、あえて「新品」という文言を加えた。

僕たちはいつでも新品の靴を買えるが、貧困のため子供の死亡率も高く(5歳未満の死亡率は日本の約13倍、5〜14歳の死亡率も日本の約4倍 2019年UNICEF調べ)、衛生状態が悪かったり十分な医療を受けられず命を落とす人が多いフィリピンでは、生涯新品の靴を履くことなく一生を終える子供達も少なくない。
もちろん貧困地域で普段は裸足で駆け回ってる子供達だって、すぐダメになりそうな粗悪なゴム草履や露店で売っている偽物・安物のスニーカー、どこから流れてきたかしれない履き古した(けれどもまだなんとか履ける)靴などなんらかの履物を手にした子供もいるだろう。
だけど、彼らもきっとテレビや街のショーウインドーで「新品の靴」「本物のブランドものの靴」を見たことがある筈だ。
それが手にできるほぼ唯一の手段が外国に出稼ぎに行っている身内からの仕送りだ。

だから、この映画のシーンでエリーがつぶやく母親から送ってもらった「靴」はただの靴じゃない。(経済先進国ではみなフツーに買っている)本物のブランドの靴、新品の靴なのだ。
この映画を観たフィリピン人たちのほとんどは、エリーがこのシーンで口にした「靴」は「どんな靴」なのかを正確に思い浮かべた筈だ。だけど、そのへんの事情を日本の観客にどれほど理解してもらえるか。。。それが僕が勇み足的に「新品の」を加えた理由だ。

もちろん、靴が一足もない、常に裸足を強いられている貧しい子供たちにとっては中古の靴だって、心から嬉しいに違いない。だから貧困支援で支給されたお下がりの靴に対してかられが言う「ありがとう」に決して嘘偽りはない。生きるか死ぬか、ゼロか1か、で生きている彼らにとっては、たとえお古であっても、僕たちが何気なく気分転換、自分へのご褒美、流行している・・・などの軽い気持ちで買う「新品の靴」以上に、非常に価値のあるものだ。
だから、日本のNGOや個人の支援活動で集められた中古の靴を与えられた時フィリピンの子供たちの見せる満面の笑顔は紛れもない真実、心からの感謝の意の表れだ。
だけど、「世の中には新品の靴もあるんだ」ということも彼らはちゃんと知っている、ということもこれまた事実なのだ。
そしてそんな靴は僕が手にするなんて到底無理だな…僕は所詮お下がりの靴を履く身なのさ…と諦念している子供がいることも・・・

本来ならば元のセリフにない言葉を勝手に付け加えるのは字幕として失格、何様のつもりだ?と叱られるかもしれない。
けれどもこれはあえて日本での上映で付け加えておこうと僕は思った。

ちなみに、映画Barcelonaはnetflixでも観れるようだけど(今でも観れるかは???)、そこにつけられている字幕は僕のではない。
僕は上映会用に個人でライセンスしてそのデータに字幕をつけただけだ。

話は脱線するけれど、こういった細かいところを見逃さず、しかも僕なんかよりはるかにセンスのいい形で映像化した作品がある。
それが1月13日から公開されている映画「世界は僕らに気づかない」だ。
日本人監督 飯塚花笑氏の作品だけど、フィリピン人以外でこれほどまでに鮮やかにフィリピン人のことを描き出した作品があっただろうか?
今後もこんなに丁寧に作れるのは彼しかいないんじゃないか?出てくるとすれば彼の作品に感銘を受けた彼のフォロワーとなる未来のクリエーターじゃないか、という気がしている。

映画「世界は僕らに気づかない」の公開情報などはこちら・・・
『世界は僕らに気づかない』公式サイト



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