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フィリピン音楽と僕 6 - バート・バカラックかダイアン・ウォーレンの隠れた名曲?

2003年から2007年頃、まだフィリピンの音楽を聴き始めてまもない頃だったので、渡航時やインターネットラジオを通して耳にするのは圧倒的に初体験の曲が多かった。
僕のフィリピンの音楽に対する探究心は、まだ乾いたスポンジのようなものだったので、新旧の曲をどんどん吸収していった時期だった。
そのころ聴いた曲で、今でも僕の愛聴となっている思い出深い曲を作曲者のことを交えながらピックアップしてみたい。

フィリピン人作曲家の作品とは思えなかった1980年代の名曲「Even If」

フィリピンは英語が浸透している国なので、フィリピンのポップスといえどもフィリピン語(主にタガログ語)曲と英語曲の割合は拮抗している。メロディも、どちらかといえばタガログ語曲が情緒的で哀愁を帯びているのに対し、英語曲はポップでストレートなものや、より欧米の「ポップスの文脈」に沿った感じのものが多い。
譜割りも流石に英語慣れしているフィリピン。英語歌詞を、単語や意味がバラバラにならずうまくメロディに乗っけているような気がする。
だからか?フィリピン人作曲家の書く英語曲は、欧米の作曲家のペンによる作品と勘違いしてしまうものも多い。特にあの頃の僕のようにまだフィリピン人作曲家に優れた人がいっぱいいることに気づいていない状態だと。メロディがよくできていれば尚更だ。
そんな勘違いした曲の一つがこれ。
女性作曲家Cecile Azarcon(セシル・アザルコン)が1982年に書いた曲「Even If」だ。

破綻のないコード進行とスムーズなメロディライン。
verseを2回繰り返してブリッジ(サビ)へ。ギターソロを挟んだ後はverseには戻らずブリッジパターンを繰り返してフェイドアウトする。
シンプルな構成の4分弱の曲で、冒険するような、気を衒うような部分はないのに、なぜか耳残りする、何度でも聴いていられる美しメロディだ。
こういうのが「センス」というものなのだろう。
歌詞も秀逸だ。
you could have at least lied, the truth just scared me…
I can't waste my life forever hoping you come back to me, but deep inside, I know I will be waiting here for you…
恋人と別れる時の割り切れない思いをうまく描き出している。

この曲を初めて聴いた時、なんていいメロディなんだ。これはバート・バカラックかダイアン・ウォーレン?、でなければ誰か僕の知らない欧米の優秀なメロディメーカーが作った楽曲に違いない。と信じ込んでいた。
僕もポップ音楽を聴きまくってるとか言ってるけど、世界(欧米)にはまだまだ知らない名曲があるんだな。。。と思った。
それくらい良かった。
1980年代の古い曲だが、ラジオでもよくオンエアされていたし、曲よりも若い世代でもポピュラーだから、実はフィリピン人作曲家の手になるものということを知るにはそれほど時間はかからなかった。

作曲したセシル・アザルコン(Cecile Azarcon)。もちろん初めて耳にする名前だ。まだ今ほどインターネット上の情報が充実していない当時、僕はありったけの彼女についての記事を漁った。他の曲も見つけた。どれも素晴らしくよくできている。シンプルで一聴して耳に残るメロディだ。いや、シンプルに聴こえるのは、工夫とセンスの賜物だろう。しかもそれを押し付けがましく感じさせないのがセンスというものだろう。彼女はスマートなのだ。
連作している「フィリピン音楽と僕」という記事の1回目でも書いたけど、このEven Ifもフィリピン人作曲家とは知らずに触れた曲だ。だから、僕の中ではセシルはフィリピン人作曲家というよりも、僕が子供の頃から聴いてきた世界の一流作曲家の一人なのだ。

Hopeless Romantic - Odette Quesada

もう一人、この頃知ったフィリピン人作曲家で忘れられない人物がいる。同じく女性作曲家で80〜90年代にヒット曲を量産したオデット・ケサダ(Odette Quesada)だ。彼女のバイオグラフィはあんまり詳しくないけど、テレビのコーマシャルソングやジングルを書いていたらしく、70年代に一世を風靡したフィリピンのポップディスコバンドに在籍していた経験もあるらしい。
オデットは、とにかく若者の甘酸っぱい恋心を書かせたら天下一品!
その代表曲が1990年代前半に書かれたこれだ。

タイトルは、Don't Know What To Say, Don't Know What To Do.
2パターンしかなく、3分足らずの短い曲だが、おしゃれなAOR系のメロディはしっかりリスナーの耳に残ると同時に、歌詞ではなんと饒舌に若者の恋心を語っていることか。
本当にセンスの塊のような曲だ。
I'm a hopeless romantic, is what they say…
Hopeless Romanticは、どうしようもなくロマンティック、つける薬のないロマンティスト、というような意味だけど、このHopeless Romanticというフレーズはフィリピンの若者の恋愛観、恋愛事情をこれほど適切に表現している言葉はない。いや、フィリピンに限らず、恋に落ちる時にこんな気持ちになることは多くの人があるんじゃないか?と思ったりもする。
この、フィリピンのHopeless Romanticというキーワードについては、いつかたっぷり書いてみようと思う。

気さくなフィリピンのセレブリティ

先に挙げたセシル・アザルコン。フィリピンではたとえ彼女の名前は知らずとも彼女のヒット曲を知らないものはいない、と断言できるくらいの存在だけど、彼女に限らずフィリピンのセレブリティは本当に気さくな人が多い。
僕は彼女とFacebookで友達になっているんだけど、時々彼女の曲のYoutubeをシェアしたり、彼女の曲をメンションして投稿したりすると、コメントをくれる。コロナ禍の前に2年間ほど、フィリピンの邦字紙「まにら新聞」に芸能記事を連載させていただいたことがあるのだが、その時彼女のことを書こうとインタビューを申し込んだ時も快く応じてくれ、記事用の画像まで提供してくれた。
一介のCD屋の店主(それも外国の)で、音楽界になんの影響力も持たない僕に親しくしてくれるのは、もちろん僕のFacebookの友達欄に、彼女とも繋がっているフィリピンの音楽関係の人たちの名前があるから、ということもあるだろうけど、やっぱり日本を含めその他の国のコンポーザーや音楽業界関係の人たちに比べ圧倒的に気さくだな、という印象だ。
彼女だけではない。フィリピン国内で重鎮と評価されているクリエイターも多くの人がそんな感じだ。
僕が雑談の中で思い付いた企画を話してもすぐにその受け皿となるような人物を紹介してくれるし、中には自分が書いた新しい曲や関わった仕事などがあるとメッセンジャーを使って、どう?これが新しい曲なんだけど。。。みたいに紹介してくれることもある。

僕は、フィリピンから優秀なクリエイターやパフォーマーが次々と誕生する秘密、のようなものがあるのなら、それを知りたいと思っているので、彼らの、こうした「気さくさ」のような一見創作に関係なさそうな一面も逃さず心に留めようと思っているのだ。ひょっとしたらその秘密を知る糸口もあるのでは?と思うので。。。

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