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好奇心と興味の種まき|西田依麻

西田依麻
外国語学部准教授・スペイン文学

幼少期の思い出

 「よ・う・ち・え・ん?」
 「そう。幼稚園っていうのよ」

そう初めて母に教えてもらった。私たちは散歩の途中、とある幼稚園の前に立っていた。午前中だったのだろうか。私の目に映る、私よりちょっと年上に見えた男の子たちや女の子たちが沢山いた。そして、彼らはその「ようちえん」という所の庭で大きな声を出して走りまわったり、砂場で泥団子を作ったり、滑り台やブランコで遊んだりしていた。みんなの笑顔と楽しそうな声そのものが、つまり、「ようちえん」なんだと思った。門越しに彼らを見ているだけでワクワクした。気が付けば、私も時折ぴょん、ぴょん、と小さくジャンプしたり、笑ってみたり、砂場の泥団子の形が崩れたら、「あぁあぁ……」とため息をついていた。庭の一番奥には、チューリップの花が、赤、黄、オレンジ、と規則正しく並んでいて、それらの花たちと一緒に「ならんだー、ならんだー、チューリップのはぁーながー」と私も口ずさんでいた。

 ある日の朝、突然思い立った。「そうだ。ようちえん!」思い立った瞬間から胸のドキドキやワクワクは止まらなかった。リュックサックに、お気に入りの絵本、積み木、クレヨン、お人形、ありったけのおもちゃを詰め込んだ。詰め込めば、詰め込むほど、それはきっと楽しい時間が過ごせるのだと信じていた。

「ようちえんにいってきます!」

と大きな声を発すると同時に、家を駆けだした。今思い出しても、当時の自宅から「ようちえん」までの距離はかなりあるものだった。しかし、駆り立てられた好奇心やワクワク感が、その「かなりの距離」を「目と鼻の先」に変えてくれた。
 しかし、「ようちえん」にあっと言う間に到着した私は、あっけにとられ、立ちすくんでしまった。目の前にあるその「ようちえん」に誰もいなかったからだ。何の音も聞こえず、ただただひっそりとしていて、むしろ、不気味な感じさえあった。ふと門に手を触れるとそれはとてもひんやりとしていて冷たかった。門からほのかに漂う鉄の匂いが鼻をつきとても気持ち悪かった。少し力を加えてぎゅっと握りしめると、今度は門が私の手首をつかみ返した感じがして、恐ろしくなり、びっくりして手を離してしまった。以前目にしたチューリップの花たちは、雑にペイントされたただの棒でしかなかった。仕方ない。おうちに帰ろう。「ようちえん」はもうなくなってしまったのだから。

 一方自宅では大変な騒動で家族中が慌てふためいていた。なにしろ三歳児がこつぜんとして家からいなくなってしまったからだ。最終的に私を見つけ出してくれたのは祖父だった。

 「えまちゃん! どうしたの? こんなところで? みんな心配してるんだよ」
 「ようちえんに行ってきたの。でもようちえん、もうなくなっちゃったんだよ。誰もいないんだよ」
 「そうだったの! 幼稚園に行ったんだね。でもね、今日は日曜日っていう曜日なんだよ。だからお友達は幼稚園には行かないんだ。幼稚園がなくなったわけではないんだよ。大丈夫。えまちゃんも、もう少しお姉さんになったら、幼稚園に行けるからね。それにしてもおじいちゃん驚いたなぁ。本当にびっくりだ。重いリュックを背負って、あの環八の歩道橋を一人で渡ったなんて。さぁ、お家に帰ろう」

好奇心と興味
 私は多岐にわたり様々なことに好奇心や興味を持つ、そんな子供でした。どんな世界も見てみたい、知りたい、触れてみたい。おかげでたくさんの収穫もありましたが、当然ながら、人一倍傷ついた辛く悲しいこともたくさん経験しました。多くの回り道をこれまで何度となくしてきました。新入生の皆さんは、今どんなことに興味を抱いていますか。好奇心が止まらないものがあるとすれば、それはなんですか。考えるだけでワクワクすることはありますか。些細なことでも、壮大なことでも、そこに優劣はないと思います。ぜひその気持ちを大切にしてください。種をまいて、水をやって、たくさんお日様に当ててあげてください。芽が出たら、心を込めて大事に育ててあげてください。土が干からびていないか、もう少し肥料を加えた方が良いのか、時々見てあげてください。皆さんは大学という教育機関にいます。そしてそれぞれ専門的に学ぶ各学部に在籍をしています。万が一、専攻分野以外のことに興味や関心があったとしても、心配することはありません。豊富な共通教養科目たちが皆さんを待っています。膨大な蔵書を誇る図書館が皆さんを待っています。
「私を手に取ってみて。そして表紙を開いて目次を見て」
「そう、こっち、こっち。君の前にいる僕だよ。ページをめくってみない?」
そんな本たちのささやきを聞きたくはありませんか。ちょっぴり風変わりな先生に興味を持ってしまった? 先生の授業中の雑談が楽しくて、その先生の人となりに興味を持ってしまった? このようなことがきっかけであってもいいと思います。専攻分野の勉強に加え、他者や自分を取り巻く世界に対する好奇心や興味、関心を絶えず持ち続け、それを丁寧に育てていってください。四年後には光り輝く宝物としてあなたのものになるでしょう。いや、あなただけの、誰にも奪われることが決してない、世界で一番の宝物になるはずです。

西田依麻
外国語学部准教授・スペイン文学

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。

この文章は2021年度版『学問への誘い—大学で何を学ぶか―』の冊子にて掲載したものをNOTE版にて再掲載したものです。