「当たり前」が「当たり前」ではない|芦田裕介
改札を抜けると、そこは迷宮だった―
渋谷や新宿、東京や横浜などの大きなターミナル駅に着くと、私はよくそんな経験をする。出口に向けて歩いているはずなのに、一向に地上の光が見えてこない。それどころか、途中でほかの路線やショッピングセンターに迷い込んでしまう。ようするに、駅のなかで迷子になるのだ。そんなときに私は、「ああ田舎者だな」と思う。
私が生まれ育ったのは、岡山県の北部にある山と田んぼに囲まれた小さな町だ。実家から近くのバス停やコンビニまで行くのに、車で10分以上かかる。バスは1時間に1本、電車は走っていない。ちょっとした買い物をしたければ、隣町の市街地までは車で30分以上かかる。私は小学校まで1キロメートルを歩いて通い、中学校までは5キロメートルを自転車で通った。帰り道では小さな地元の商店で買い食いをし、先生に怒られることもしばしばだった。
隣町にある高校までは、自転車とバスを乗り継いで通った。徒歩や自転車だけで高校に通える同級生がうらやましかった。私は帰宅部で趣味もなかったので、楽しみといえば帰り道にバスを降りて、本屋やCDショップ、レンタルビデオ屋に立ち寄ることくらいであった。街だと思っていた隣町も、いつしか退屈な場所になっていった。
なんで自分はこんな田舎にいるのだろう。何もない不便なところはいやだ。そんな気持ちを抱えながら高校時代を過ごした。
当時はスマホもなく、私の周りにはインターネットを自由に使える環境もなかった。私にとっては、ブラウン管式のテレビや図書館の本が主な情報源であった。そうしたメディアのなかに登場する、東京のような「都会」が、とても魅力的な場所にみえていた。私は大学進学のタイミングで大都市に行きたいと考えた。運よく第一志望の東京の大学に合格し、横浜の大学に通っていた兄と一緒に暮らすことになった。
私が住んだのは横浜市の郊外にある、いわゆるベッドタウンだった。それでもアパートの近くにはたくさんお店があるし、電車に乗ればいろいろな街に行ける。電車を乗り過ごしても、すぐに次の電車がやってくる。貧乏学生が行けるところはたかが知れている。それでも私にとっては、大きな書店や映画館、古着屋や中古CDのお店に行けるだけでうれしかった。とくに意味もなく、横浜や東京の街をブラブラ歩きまわったりもした。講義の合間には、友人とファミレスのドリンクバーで時間をつぶした。飲み会の後に終電に乗り遅れ、ネットカフェで夜を過ごすこともあった。
振り返ってみると、貴重な大学生時代に、とてもムダな時間を過ごしている気がする。ただ、当時の私にとってそれは必要な時間だった。少なくとも、田舎とは違う私なりの「都会」の空気に触れることは、私の心を自由にしてくれた。このままずっと都会で暮らそう。そんな風に考えるようになった私は、東京近辺で就職するつもりだった。
その一方で、私には何ともいえない違和感もあった。大学やバイト先で出会った都会の人々は、田舎のことを何も知らない。徒歩圏で生活し、実家から大学に通えるにも関わらず、「不便だ」「一人暮らし」をしたいと文句を言う。人間は自分にないものを求める、というのはよくわかる。それでも、私からすればあまりにぜいたくな悩みだった。みんな、それをごく自然に、なんの嫌味でもなく口に出し、周りがそれに同意した。私にはそれがどうしても理解できなかった。
なんで自分の生まれた場所と都会は違うのか。そもそも田舎や都会はどのようにしてできたのか。私はそんな疑問を持つようになった。そして、気がつけば就職活動もしないで、大学院へ進学していた。もっとも進学した時点では、疑問に答えが出たらいずれは普通に就職するだろうと考えていた。ところが、私はいまだに疑問を解けないままでいる。それどころか、研究すればするほど謎は深まるばかりだ。研究を続けるなかで東京から地方へ引っ越し、また東京に戻ってきた。
私は主に、日本における地域社会や人口に関する問題について研究している。いろいろな本を読み、いろいろな場所に行き、いろいろな人たちの話を聞いた。日本では、明治時代以降、地方から東京のような大都市に人々が集まり続けている。政治や経済、文化の中心、それが都市である。日本に限らず、古今東西、人間は都市に集まる。それに対し、都市を支えるのが食糧の生産をおこなう農村である。私が生まれたのは、まさに農村であった。ただし、現代の日本において、食糧は輸入に頼っている場合も多く、都市の人々には日々の生活が農村によって支えられている、という感覚は薄いのではないかと思う。
農村では人口が減り、高齢者が増え、若者の数は減っている。私が実家に帰るたびに思い出の店がなくなり、国道沿いに新しくできるのはコンビニやコインランドリーだ。学校や役場も統廃合され、空き家や空き地も増えている。田舎の高齢者たちは農作業のおかげか、けっこう元気なのが救いである。それでも5年後、10年後はどうなっているかはわからない。農村は、都市はどうなるのか。研究してもなかなか答えは出ない。
それでも、研究を続けていてわかったこともある。自分にとっての「当たり前」は、他の人にとって「当たり前」ではない、ということだ。世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな場所がある。その間に優劣はないが、違いがあれば人は戸惑う。自分にとって居心地の良い場所はどこなのか、誰もが悩みながら生きている。
学生たちには、どうすればこんな感覚を伝えることができるだろうか―そんなことを考えながら、私はまた迷子になる。
『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために毎年発行しています。
この連載では『学問への誘い 2020』からご紹介していきます。