ちょいと昔、祖母の死に際して。

 厭なことというものは、立て続けに起こるものなのだ。勿論単なる偶然の重なりと安直な錯覚に過ぎないのだけれど、現にそう感じてしまうのだから、そうなのだ。
 厭なことは、連続する。それは、どうしようもないくらいに人生の真実だ。そんなことを感じずにはいられないくらい、平素の生活が良いことばかりに満ちているということに救いを求めるくらいしかないのだろうか。


 風邪を引いた。地震が起こった。祖母が死んだ。そういう一週間だった。風邪はまだ治っていない。


 地震はとてもつらい。幸いなことに、俺の住居に被害はほとんど何も無かった。出しっぱなしにしていた薬罐が棚から落ちて少し凹んだくらいで何とも無かった。そんな程度のことを「幸いなことに」と前置きをしないと書けないことが、本当につらい。「幸いなことに」という言葉の背後に潜む、「幸いでなかった人たち」のことを思うと、もう俺は何も書けなくなってしまう。

 これまでに壊滅的な地震を直に経験したことの無い俺には、最も大きく揺れているのは自分のいるこの場所だろう、とする発想はまるで無い。一通り揺れが収まるのを確認し我が身が目下安全であることに確証がもてると、最も揺れた地域はどこだったのかと、最も被害のありそうな地域はどこだったのかと、そういう情報を即座に確認する。これは何も俺ばかりのことではなく、地震の揺れを感じた後に多くの日本人が自然に取る行動であろう。

 家族や友人の住む地域に大きな被害の無いことを知り、ああ、良かったと胸をなでおろす。そして、ほとんど同時に死傷者の存在を知り、断水やガスの停止にみまわれている地域の少なくないことも知り、一瞬先の安堵した自分の身勝手な残忍さを自覚してたまらなくなる。まさか身内以外はどうでもいいと考えているわけでもないと思いたいが、ふとした感情の発現は、潜在的な己の薄情さをさらけ出してしまう。

 ナーバスな話だ。強迫症に近いようなものだ。そんなことは分かっている。不幸にも地震で亡くなってしまった方やその遺族の方々にしたって、全く見知りもしない俺などに同情されても利益の無いことだし、ましてや、そんな倒錯した自己嫌悪などもたれても反応に困るというものであろう。そんなことは分かっている。だから、これは不謹慎だとか申し訳ないだとか、そういう次元の話ではない。

 数日経って、授業に訪れた生徒に「大丈夫でしたか」と声を掛ける。無意味な質問だ。大丈夫だったからこそこうして授業に来ているのだろうに。疑問文では無いのだ。疑問文の形を借りて、大丈夫であったことを確認して、こちらの不安だった気持ちを消し去ってしまいたいだけなのだ。軽く頷いてくれることを、ほとんどそれのみを、期待して発言している。
 一種の同調圧力のようなものに過ぎないのかもしれない。万が一、大丈夫で無かったのに無理をして教室に来ている生徒がいた場合、そうした同調圧力めいたものは、いたずらに彼や彼女を傷つけるだけかもしれないというのに、そんなリスクよりも、安易な自らの不安の解消を優先して、「大丈夫でしたか」と、俺は皆に声を掛ける。そんなことのためにしか、俺は言葉を使うことが出来ない。

 だいたいこんなことで悩んでいるのが馬鹿馬鹿しい話で、自然の大きな力を前に、自分の卑小さを自覚して打ちひしがれているに過ぎないのだ。別に地震のことなど語らなくても、毎週毎日俺が書いたり言ったりする言葉の一つ一つは、どこかで誰かを傷つけているのだろうし、誰かの不幸や不快を前提にしているのだろう。そんなことまで自覚されては、ますますもって、何を語れば良いのか分からなくなる。だからみんな、ルールも戦術もろくに分かっちゃいないのに、サッカーワールドカップに熱中するのだろうか。何も分からなくても、語っておけば、何かが連帯出来た気がするから。


 風邪を引いた。地震が起こった。祖母が死んだ。そういう一週間だった。風邪はまだ治っていない。


 祖母の他界は、地震とは関係が無い。ただタイミングが近く重なり、俺の煩悶とした気持ちを加速させている。
 祖父母の死に接するのはこれで四回目のことで、つまり俺にはじいちゃんばあちゃんと呼べる存在がすっかりいなくなってしまった。痛切なる喪失感であるが、何がそんなに悲しいのか、正直なところよく分からない。
 同居しているならともかく、遠く離れて暮らしていて、会うのはせいぜい年に二、三回くらい。子供の頃からそのくらいの頻度でしか会っていないから、顔を合わせた回数は、のべで百日にも満たないくらいかもしれない。親密度でいえば、父母や姉弟には比べるべくもないし、友人やペットよりも低いといえる。それでもこんなにせつなく感じてしまうのは、祖母からまったく無償の愛を一方的に注いでもらったからかもしれない。

 不孝な孫であったとは思わないが、さりとて孝行な孫であったとは到底言えない。これまで祖母に何をしてやったのかと問われて、挙げられることはほとんど思いつかない。祖母から注がれる愛情が、まったく無償のものであることは分かっているから、そのこと自体に罪悪感を覚えるのは筋違いだろう。無償の愛には無償の愛で返すのが筋であって、それで十分だと思っていた。
 ところが、死なれてしまっては、もう会えない。無償の愛の向かう先が無い。
 突然のことであったとはいえ、祖母の死を耳にする直前、俺の頭の中に、微塵として祖母はいなかった。日常の雑事にいっぱいになっている頭に、死という圧倒的不在をもって、祖母が数ヶ月ぶりに意識にのぼったのである。こんなかなしいことがあるだろうか。このやるせなさを、俺はどう処理すればよいのか。

 死者に語るということがある。葬儀の際に遺影に向かって、あるいは仏壇に、墓前に向かって、俺たちは手を合わせ、目を瞑り、死者に言葉を投げかける。科学的に無意味なことであるのは言うに及ばず、ほとんどの宗教にとっても意味の無いことであろう。往生出来たのなら現世にいるこちらの言葉など届くわけもないし、まさに往生せんとするところならば、声をかけて引き止めるわけにもいくまい。だから、あれは多分、死者のための行為では無いのだろう。対象は存在しなくなってしまっても、対象への思いは依然として残り続けてしまう。そういう不在の対象への思いを、俺たちはああしてときどき吐き出さないとたまらないのだろう。言葉は宙を漂うばかりで、決して死者に届きはしないと知っているとしても。

 出棺が一番かなしい。これで本当にお別れなのだ、という感じがする。もうとっくにその肉体は生命の機能を停止していて、そこには俺のよく知る祖母の温かい人柄は宿っていないというのに、からだが棺に収められ、火葬場へ送られるのを見送ることのかなしさといったら、筆舌に尽くしがたいものがある。もうそこに祖母がいないことは分かっているのだけれど、その名残までもが失われてしまうような気がして、ただただかなしく、大の大人がみな涙を流し、すすり泣いている。
 それだけ俺たちは肉体そのものに愛情があるようなのに、焼かれてばらばらの白い骨になってしまった姿を見ると、なぜかほっとしたような、憑き物が落ちたような、奇妙な据わりの良い気持ちがする。本当にあれは不思議だ。こうなることが嫌だから、肉体を留めておきたいという気持ちがあるから、あんなにかなしかったはずなのに、不揃いな箸で崩れてしまわないように慎重に骨を拾って壺に納めているうちに、妙な納得の意識を覚えてしまう。白いばらばらの骨は、微塵たりとも生前の祖母の面影を呈してくれない。ましてそれを壺に入れて、墓の下に埋めるのであるから、もう世界に祖母が存在したことを示す物は無いに等しい。つい数日まで生きていて確かにこの世に存在していた祖母が、まったく俺たちの記憶の中だけの存在になる。そのことが、妙に納得されてしまうのだ。とすれば、死のかなしみとは、死そのもののかなしみではなく、死を受け入れられない混乱の表出の一種であるか。


 風邪を引いた。地震が起こった。祖母が死んだ。そういう一週間だった。風邪はまだ治っていない。


 厭なことは立て続けに起こる。それら一つ一つは全く別個の出来事だが、俺の経験は連続している。心身ともに健やかな状態であれば、地震を語る言葉にこれほどのナイーブさを覚えることは無かったかもしれない。地震で地に足がつかない気分でいるところに、祖母の訃報を聞いたから、一層現実感が無く戸惑っているのかもしれない。だが、そんな反実仮想には何の意味もない。現にある俺の経験は、ただその連続でしかないのだから。
 現にある自分の経験はただそれでしかない。日本人は地震に慣れているなどという謂があるが、それがたとえ社会科学的に正しい見地であったとしても、当の自分の経験には何の意味も持たない。この文章を読むほとんどすべての者にとって、先日ほどの規模の地震を現に経験するのは初めてのことで、そこに慣れなど存在するはずもない。大いに恐れたものもいようし、電車に閉じ込められただただ煩わしかったものもいようし、生活の不便を強いられたものもいようし、あるいは非日常の現実に高揚感を覚えたものだっていよう。それらはすべてかけがえのない現にある自分の経験であるから、それらを安易に一般的な範疇に分類したり、また他者に押し付けたりするようなことはあってはならないのだと、俺は思う。
 
 考えてしまうと、何を言って良いのかわからなくなった。「地震は大丈夫だったか」と相手を慮る言葉の背後に潜む薄情さや暴力性に気付いてしまったし、祖母の遺体と遺影に向かって言う「ありがとう」も「ごめんなさい」もまるで空虚なものでしかないことを自覚してしまった。それでも意識的か、無意識的か、それすらも自分で分かっていないのだけれど、そうした言葉は自然に出てきた。出てきてしまったというべきかもしれない。
 書いたら嘘になってしまうと思った。とはいえ、書かないのも嘘でしかないと思った。だからどうしてよいか分からず、先週は何も書くことが出来なかった。今週はキーボードに向かうと、自然に文字を入力出来た。
 言葉にすることにどれほどの意味があるのか分からない。ただ言葉にすることに、されることに疲れて、俺はSNSの類をすべて辞めたような気がするのに、性懲りもなくこんなことをここで書いている。こんな文章を読んで、誰のためになるのか全く分からない。いたずらに陰鬱な気分にさせるだけかもしれない。それでも書けば残るから。これは残しておこうと思ったのだ、という痕跡をこうして書いて残している。


 風邪を引いた。地震が起こった。祖母が死んだ。そういう一週間だった。風邪はもうすぐ治るだろう。

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