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映像で楽しむジョージ

 ビートルズ研究家の藤本国彦さんによる「映画「コンサート・フォー・ジョージ」劇場公開記念 映像で楽しむジョージの世界」と題したトークイベントが2023年7月14日(金)に「新大久保エンタメカフェ」(新宿区百人町2-11-23新大久保コミュニケーションビルB1F)で行われた。
 イベントは2部構成。第1部はビートルズ時代のライブ映像、ソロになってからのパフォーマンスを見て、藤本さんが解説をしていった。第2部は7月28日(金)から劇場公開される映画からの映像から紹介された。
 まずは1964年2月、ビートルズがアメリカ上陸を果たした後、ワシントンDCで行われたコンサートからジョージの「ロール・オーバー・ベートーベン」の映像を見た。同ライブのオープニングを堂々と飾った。

1964年ワシントンDC


 そこで藤本さんから「エド・サリバン・ショーの冒頭もポール(・マッカートニー)の「オール・マイ・ラビング」だったし、ジョンはステージ恐怖症が出ていたのかもしれませんね。トロント(のロックンロール・リバイバル)でも緊張から吐いたといいますからね」とのコメント。
 ジョージはデビュー前後にはテレビでの演奏も含めて、けっこうカバー曲を中心にレパートリーが多く、リードボーカルを任されていることがあったとの説明のあとに、藤本さんから質問が飛び出したー「ビートルズのライブでのジョージのレパートリーは何曲ですか?」。
 答えは3曲。そう「ロール・オーバー・ベートーベン」がまず1曲。あとの2曲の映像を見ていくのだが、まずは65年の北米ツアーでの「みんないい娘」と66年の日本武道館公演での「恋をするなら」。

1966年日本武道館


 「「アイ・ニード・ユー」とかライブでやってもよかったのにと思いますが・・・もう少し先までビートルズがライブ活動をやっていたら、「タックスマン」とかのライブ演奏もあったのかも」と藤本さん。
 そこで解散後のジョージのライブパフォーマンスに移った。「何といってもバングラデシュ難民救済コンサート。チャリティの走りだし、ラビ・シャンカールから同国の状況を聞いて、人を集めて実現しました」。
 「このライブがあった1971年と「コンサート・フォー・ジョージ」があった2002年との間には30年くらいの時間が経っていますが、共通項、似たような意味合いがあるような気がします」と藤本さんは言った。
 バングラデシュ難民救済コンサートからはジョージとバッドフィンガーのピート・ハムがアコースティック・ギターで演奏する「ヒア・カムズ・ザ・サン」を鑑賞した。そして次は1974年の北米ツアーだ。

1971年バングラデシュ難民救済コンサート


 藤本さんが解説した。「ジョージ本人がステージ恐怖症になってしまったといいます。喉の調子が非常に悪くて、アメリカのミュージシャンが多いせいかファンキーなアレンジになっていて、「イン・マイ・ライフ」なんてオリジナルと違うアレンジで、ツアー自体不評でした。74年のこのツアーの後、基本的にライブを止めてしまいます」。
 そのツアーから「サムシング」の演奏を見た。「かなりかっとんでいるように見えます。(歌い方も)ボブ・ディランが乗り移ったようなすごい「サムシング」。歌詞を変えたのもひんしゅくを買いました。ビートルズの曲はなるたけやりたくなかったのでしょう、この時のジョージは」。

1974年北米ツアー


 次に見たのは76年のテレビ出演の映像。『33 1/3』からの第一弾シングル「ジス・ソング」だ。盗作問題を受けてジョージが書いた曲でプロモーションのためにドイツのテレビに出て「口パク」で歌った。

1976年ドイツのテレビ出演


 盗作問題がらみでもう一曲。ラトルズのポール役が司会を務めるテレビ番組で1976年に披露された「パイレート・ソング」。その次も同じ年の秋に放送されたテレビショー「サタデイ・ナイト・ライブ」でポール・サイモンとジョージが共演した「ヒア・カムズ・ザ・サン」。
 珍しいところでハンドメイドフィルムの映画「ウォーター」からの1984年のシングル「フリーダム」。藤本さんは言った。「まず面子がいい。リンゴがいて、エリックがいてといった具合で。ポールの「フリーダム」よりこっち(ジョージ)のほうがいいね」。
 1985年のカール・パーキンスらとの「ロカビリー・セッション」のリハーサルから「みんないい娘」を見た。それから1987年のチャールズ皇太子(当時)主催のプリンス・トラスト・コンサートから「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。

1987年プリンス・トラスト・コンサート


 「ジョージとリンゴが揃いましたが、3人一緒には出ないんですね。ジョージとポールは一緒に出ない。仲がよくないのかな」と藤本さんは語った。
 そして1988年のビートルズの「ロックの殿堂」入りの式典での「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」。ジョージとリンゴがそろってボブ・ディラン、ミック・ジャガーら錚々たるメンバーが歌う映像を楽しんだ。第1部の最後は、1991年の日本公演から「タックスマン」。
 休憩を挟んで第2部がスタートして登場したのはこの部でフォーカスされる映画「コンサート・フォー・ジョージ」の宣伝担当の中村まきさん。中村さんは2002年11月29日に行われた実際のコンサートを見たという。「運よくチケットをゲットしました。ロイヤル・アルバート・ホールは初めてでした。お香が焚かれていて入っていくといい香りがしました」。
 映画の見どころとして中村さんは次のように述べた。「初めて劇場で見られるというのが大きいです。昨年開催から20周年だったのですが、それを記念したリマスターされたバージョンです。(奥さんの)オリビアと(息子)ダニーのメッセージもあります」。

中村まきさんと藤本国彦さん


 映画からエリック・クラプトンがボーカルを務める「ビウェア・オブ・ダークネス」。そしてポールが歌う「フォー・ユー・ブルー」。藤本さんは言った「ポールの声はすごく安心感があります」。

2002年コンサート・フォー・ジョージ


 ウクレレで始まりフルバンドでの演奏になっていく「サムシング」が続いた。その後のポールのコンサートでこの曲を取り上げる時の構成が初披露された。「いいですね。74年のジョージの「サムシング」のリベンジが出来たようです」と藤本さんはコメントした。
 最後はジョージの2004年の「ロックの殿堂」入りのセレモニーでの「ハンドル・ウィズ・ケア」。トム・ペティ、ジェフ・リンらが参加してトラベリング・ウィルベリーズの曲を演奏する映像を見た。これでこのトークイベントは幕を下ろした。藤本さんは締めくくりに「ジョージは周りの人を引き寄せます。声をかけたくなるような人だったんですね」と言った。


 
 

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