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8・15敗戦記念シンポ

 今年も8月15日が巡って来た。
 東京・小金井市を本拠地とする市民グループ「千曲川・信濃川復権の会」(冊子「奔流」を発行)は「アジア太平洋戦争敗戦記念8・15シンポジウム」を「東京ボランティア市民活動センター」で開いた。
 矢間秀次郎(やざま・ひでじろう)代表が開会挨拶に立ったー「アジアと付けたのは、2000万人ものアジアの人たちが犠牲になったからです」
 「日本国民の戦没者はおよそ310万人。これに加え、統計には現れない「準日本人」つまり朝鮮半島や台湾の人々の犠牲者もいる」
 「今日、日本のマスコミは「終戦記念日」と書いています。しかし私は戦争は終わっていないと考えている。110万人もの人々が野ざらしのままアジア各地から無念の思いを発している」
 「そのことへの思いを戦後生まれの人も持っていただきたい」
 「沖縄も例外ではありません。棄てられた国。琉球王国です。アジアの国家として累々たる歴史を作ってきました」
 「そうしたことを考えると終戦という言葉ではくくれない。我々はいまだに戦争中なんだ、戦場にあるんだと思うんです」。

開会挨拶をする矢間秀次郎さん


 ここからシンポジウムに入った。
 まず登壇したのは弁護士の三宅千晶(みやけ・ちあき)さん。
 沖縄県宮古島出身の母と広島県中区出身の父の間に1989年、沖縄県那覇市に生まれた。被爆した祖母やその家族の話を聞いたり、基地問題に取り組む父に連れられて米軍基地などを訪れるなかで「戦争に巻き込まれたらどうなるのか」と考えながら育ったという。
 本題に入るやいなや一言「沖縄が大変なことになっています」。
 いわゆる「台湾有事」を口実に、日本政府(と米政府)によって沖縄本島と南西諸島の軍事拠点化が急ピッチで進められている。
 三宅さんは例を挙げて、画面に映像を映しつつ、説明をしていった。
 まず、宮古島。ここには2019年に駐屯地が作られ、保良には弾薬庫を備えた訓練場が設けられた。2021年には島にミサイルが運び込まれる。
 「公道に陸上自衛隊が普通に見られるようになっています。もし東京などでこんな格好で歩いていたら、大変な事態だと思うでしょうけれど、沖縄ではそれが今起きているのです」と三宅さんはいう。
 「街中を危ないものや戦車がいろいろな理由をつけて走っているような状況なんです・・・陸自の職場体験を中学校で案内している。住民の中に溶け込もうとして活発にやっています。また、住民たちはミサイル部隊が入ってくることへも反対の声を上げていました」。

説明をする弁護士の三宅千晶さん


 昨年11月23日には進む軍事拠点化に抗議し「二度と沖縄を戦場にしてはいけない」として、県民大会が開かれた。
 三宅さんは人口が535人の北大東島では航空自衛隊のレーダー部隊が新たに配備されることになったことも説明。
 「いったん自衛隊の人たちが島に入ってしまえば、もう反対してもダメになる。拡大してゆく一途だとみられています。飛行機でも那覇から70分かかる、こうした島では緊急時に自衛隊が助けになってくれるのではないかという期待も背景にあるんです」。
 また、日本政府は有事には先島から12万人避難させるという原案を作ったが、それによると6日間で避難させることが想定されている。
 「今の戦争って船でやって来て一人一人殺すんではなくて、何かが飛んできていっぺんに殺られる。6日もかけて避難させるって、命を守るつもりがあるんでしょうかということです」と三宅さん。
 シェルターも国や県ではなく自治体に作らせようとしているという。

 続いては東京大学の堀尾輝久(ほりお・てるひさ)名誉教授が「9条の精神で地球平和憲章を!」と題して話をした。
 福岡県小倉に生まれた堀尾さんは東京大学で法律で、そのあと教育について学んだ。近著に『地球時代と平和の思想』(本の泉社)がある。
 「国のかたちって何だと考えた時、ひとつの答えとしては憲法というものをどう考えるかということなのではないかと思います」と堀尾さん。
 「Constitutionという言葉には身体の仕組み、体質、構造という意味を含みます。そういう体質も含めて憲法というのを考えないといけない。仕組みとその体質という考えと、誰がどう規定しているのか」。

東京大学名誉教授の堀尾輝久さん

 今の日本国憲法が成立した背景には8・15の敗戦があると堀尾さん。
 堀尾さんはまず自分の経験した敗戦について話をしていった。
 79年前の8月15日、堀尾さんは当初長崎ではなく原爆を投下する予定地だった小倉にいた。中学1年生だった。
 「父は戦死していたので私は「靖国の子」として育った。当時は親の仇を討つという気持ちがあったと思います。だから、今のウクライナなど戦地の子どもたちの気持ちがよくわかるんです」。
 当時、「子どもは侵略戦争をやっているとは思っていなかった。大義のためアジアの平和のため戦争をやっていると思って少年期を送り、敗戦を迎えたんです。でもそう簡単に平和主義者になったわけではない」。
 のちに法律の勉強をすることになるが堀尾さんは「国家を作っている教育の問題を強く考え」ていて、法学部だけでなく教育学を大学院で学ぶ。
 「私は今91歳です。歴史的にみる。それと自分の生き方を重ねて、日本、世界の歴史をみないといけないという思いが強い」。
 戦前は大日本帝国憲法、教育勅語そして軍人勅諭。それが8・15によって日本国憲法、教育基本法に変わった。
 堀尾さんは「帝国憲法と今の憲法はどうつながっているかといえば、改正手続きでつながっているだけ」だという。この変化は「革命。国体は続いていないのだから。天皇主権から国民主権に変わったのはまさに革命。ポツダム宣言を受け入れたのはまさに8月革命だ」と話す。
 戦後の憲法学は第9条は世界に誇るべきものだとしてきた。それを変えようとする動きが出てきたのが60年安保の時の岸信介内閣で第一期の改憲運動がそれですと堀尾さんはいう。
 90年代末からは第二期改憲運動で、ここでは解釈改憲。今は第三期で「安保法制以降、憲法自体を変えようとしています」。
 岸田文雄首相は「辞めるといった会見の最後のほうで、憲法改正をやらないといけない、自民党総裁選では改憲をする人をと言い残しました」。
 「憲法を持っているにも関わらず、解釈改憲から条文を変えようというところまで来ているんです」。

 3人目のパネリスト、花岡蔚(はなおか・しげる)さんが次に話をした。
 花岡さんは1943年生まれ。東大法学部卒業後、サラリーマン生活を内外で送った後、平和運動を行っている。著書に『自衛隊も米軍も、日本にはいらない』(花伝社)があり、全国を講演行脚して回っている。

花岡蔚さん


 「私は平和運動のプロではありません。市民の、本当に平和を願っている一般ピープルです」と花岡さんは話す。
 持ち前の行動力で、米オハイオ大のチャールズ・オバビ名誉教授とも会ったという。湾岸戦争の後、アメリカで9条の会を作った人だ。
 「アメリカは共和党であれ民主党であれ、戦争がなくてはやっていけないところなんです。日本も(仮に)立憲民主になったとしても・・・」と話してから花岡さんは続けた「だから原理原則を大事にしたい。自衛隊も米軍も憲法違反だという立場で活動を続けています」と。
 「今年中に日米安保条約を破棄するという通告をアメリカに出す。安保条約には、日本の議会を通れば、誰に相談せずとも、それが出来ると書いてあるんです。そうすれば沖縄にこんなひどいことが起こることはない」。
 そして自衛隊を人道的な目的のJAIRO(国際災害救助即応隊)にする、防災平和省を作ると花岡さんは構想している。

 休憩を挟んで始まった後半の最初は詩集『九条川』(土曜美術社出版販売)の朗読。「千曲川・信濃川復権の会」会員である詩人の高橋嬉文(たかはしよしふみ)さんが「吹き竹」を手に説明し、作品を朗読した。
 (前略)「祖母が駆け込んできた 恒が、恒が 戦死したと・・・ 母は竃(へっつい)で火を燃やしていた」
 (中略)「それでも母は 吹き竹を吹く 嗚咽の 吹き竹に 火はますます燃え上がる」

高橋嬉文さん


 続いては「里の秋」。昭和16年に作られたが当時の詩は軍国少年になることを賛美しているような内容だった。だが、昭和20年、NHKラジオ「たずね人の時間」のテーマソングとなった。詩が変えられた。
 高橋さんはじめ会場の参加者たちと「里の秋」を歌った。
 「遺骨の112万人がまだ帰ってきていません。59万人の遺骨は収集可能なかたちで残されているんです」。
 2024年度に遺骨収集のために充てられている予算は26億円。それに対して「ポンコツのオスプレイが100億円でF35A戦闘機が120億円なんです」と高橋さんは怒りもあらわに話す。
 ここで詩「九条川」の朗読となる。「九条川というのは地図にない川です。戦争を経験した私たちの心に強く深く流れている川です」と高橋さんは話した後、詠みあげたのだ。
 最後に高橋さんが最近作った詩で「愛しき人の去る前に」を披露した。まずは「Oh Danny Boy」を英語で、次に高橋さんによる日本語詩「愛しき人の去る前に」で歌った。

 再びシンポジウムとなって、まず三宅さんから補足的な話があった。
 先日、16歳未満の少女の誘拐暴行事件が明らかになった。三宅さんによると、2023年以降沖縄県警はただの1件も米軍関与事件について報告を受けていなかった。「全く報告されていなかったのみならずなんです」。
 「この件では第一回裁判の前にも関わらず保釈が通った」
 「蓋を開けてみると全くの否認事件。それなのに保釈をした。米軍だけ特別扱いする日本というのは本当に法治国家なんでしょうか」。
 日本政府というのは「情報を出さない、隠す、反対の声を出させない」と三宅さんはいう。

 そして堀尾さんは酷かった安倍政治を振り返った。
 第一次安倍内閣では教育基本法を変え、防衛庁を防衛省にして、憲法改正への一里塚である国民投票法を通した。第二次内閣では「憲法を変えることを本気で考えるようになり」、2014年には集団的自衛権を閣議決定で認め、2015年には安保法制を強行採決で成立させる。
 ある憲法学者はこれを「クーデター」だといった。「政治学者でなく憲法学者が言ったということに驚き、共感し、うれしくなった」と堀尾さん。
 こうした動きに対して何が出来るのかと考えて、堀尾さんは「安保法制違憲訴訟を起こしました。私も原告ですが、裁判には負けています。裁判所は憲法判断をしない。怠っている」。
 しかし「国を相手にやっているということに意味がある。国は裁判の被告になる。小さな国民の1人でも原告になりうるんです」。
 「9条を守るためには9条の理念を世界に広めないといけない。その運動を安保法制のあとに始めました。そして地球平和憲章を作ったんです」
 「憲法を地球時代の視点から読み直しすることによって、世界の平和思想につながり、その先をいっているものだと分かります。国連で地球平和憲章が出来ればといいと思います」
 「戦争は嫌だと理性ではわかっていても、今のウクライナ、ガザ・イスラエルの問題を通して、いかに戦争は残酷かというのが感覚的に分かる。それが肉体的に分からないといけない。フロイトがいっているように残虐さを目の前で見るのが知るということだと」。
 堀尾さんは最後に「戦争の悲惨さを表している歌」だとして「死んだ男の残したものは」の3番、4番を歌った。
 今回は残念ながら歌うことが出来なかったが、堀尾さんは「地球平和憲章の歌」を自ら作詞作曲している。
 
 花岡さんは「今の平和運動がうまくいかないのはダラダラやっているからだ」として「今は冷戦がないので(目標の)期限が決められる。来年までに自衛隊をなくすと私は言っています」。
 また「今の平和運動は目標の設定を誤っている」とも。
 「不条理に一つ一つ当たっていても別の不条理が現れるだけです。根元を絶たないと何の解決にもならない」。
 「非武装中立日本、自衛隊をなくす、米軍にいなくなってもらうーーそこに一本化すべきです」。
 さらには「私たちは運動の矛先を私たちに向けるべき」だと主張する。
 「平和デモの後で一杯飲むのを楽しみにしている、それが今の平和運動。それでは何も変わらない」と手厳しかった。
 この後、質疑応答があり、最後は芸人の末武あすなろさん(「千曲川・信濃川復権の会」編集委員)が三線で歌を披露して、8・15シンポジウムは締めくくられた。

末武あすなろさん


 


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