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ビートルズの旅(インド編)④
いざ、リシケシュの町へ。
「藤本国彦と行くビートルズの旅(インド編)」の二日目である2024年3月14日(木)のハイライトは何といってもビートルズが1968年2月に訪れて瞑想修行などをしたリシケシュを訪ねることだ。
すでにリシケシュに近づいてきた。
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山をしばらく上がり、「モニオレラ」という場所の駐車場で大型バスからトヨタの四輪駆動に分かれて乗車して、レストランに向かった。モニオレラとは「お坊さんの砂」を意味するという。
そのレストランは宿泊するホテルHoly River Hotelの一階にある。乗り換えてからおよそ7分ほどで到着した。
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食後、「ビートルズ・アシュラム」に向け出発。
山の細く曲がりくねった道を行くことおよそ40分。
ネーミングこそ「ビートルズ・アシュラム」だが、建物などでのビートルズという表記は見当たらない。ただ、正面の門柱にはビートルズとこのアシュラム(僧院)だった場所との関係を示す張り紙があった。
ただ、この中のアシュラム跡全てがビートルズに関係していたとはいえないよう。要するにマハリシのアシュラム跡で、その一部がビートルズたちが使った場所であるという理解でいいのではないだろうか。
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入場料は1200インドルピー(約2150円)だった。
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入り口を入ると敷地内にあった僧院の位置関係を示す看板があった。
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ここからは「ビートルズのバンガロー」までの光景を。
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釣鐘上のストゥーパがいくつもある。これと同じようなものを見たことがある。インドネシアのジャワ島中部の世界最大級の仏教遺跡ボロブドゥールのストゥーパである。数多くのストゥーパがその世界遺産にはあった。それと全く同じような形状であり、影響はあったのだろうか。
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「Post Office」との説明がある建物跡もある。説明書きによると、1960年代初めに建てられ、マハリシと彼の瞑想コースを受けるための滞在型ゲストが郵便を使う時のための建物として使われたとある。
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「Kitchen」跡もある。「1960年代初めに建てられ、時には500人以上にもなったゲストたちのために野菜食を提供した」との説明書きがある。
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「印刷所」まであった。ここはマハリシの超越瞑想(TM)についての講義に使う印刷物を刷った所とある。やはり1960年代初めに建てられたとの記述がある。最も有名なTM関係印刷物である「The Science of Being and the Art of Living(存在の科学と生の美学)」などがここで印刷されたとある。
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さて、いよいよ次はビートルズ関係とみられる場所となる。
(続く)
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