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「まつろわぬ民」を見た!

 3年前の2021年、東日本大震災・福島第一原発事故から10年。
 「復興」という大義名分の陰で、原発事故によりいまだに避難状態にある7万人もの故郷を追われた福島の人々のことは社会から忘れ去られた。
 原発周辺の避難指示解除区域および帰還困難区域では次々と家屋が遅れて来た津波のように取り壊され、人々が暮らした街の記憶も声も消され福島県の浜通り地区には広大な更地が広がった。
 「わたしたちはそんな忘れ去られるものの声に耳をすまし、福島第一原発に近い浜通り地域をイメージした物語、朗読劇を創作」。
 「2021年4月「もやい展2021東京」にて初演、同年7月には東北7カ所を巡業、2022年2月には東北ツアー第二弾、福島県の楢葉町、郡山市、山形県東根氏、酒田市での上演を行いました」。

忘れてしまえば灯は消える
 「あの日から13年。記憶の更地は増え続け、人々の声も遠くなり無かったことにされようとしています。--劇中にスエが言う「忘れてしまえば灯は消える。忘れなければずっと灯はともり続ける」。私たちは、日々刻刻と変容する福島の浜通りの<現在>を見つめ、台本を新たに改訂しました」と演劇集団「風煉ダンス」の林周一代表。
 そうその作品とは「まつろわぬ民」だ。
 これは歌手の白崎映美さんが東台日本大震災に思いを寄せ、小説家木村友祐の「イサの氾濫」に感銘を受けて生み出した楽曲「まづろわぬ民」。それを歌唱する映美さんにインスパイアされて、風煉ダンスが2014年に舞台化した音楽スペクタクル劇画「まつろわぬ民」。
 東日本大震災と福島第一原発事故を物語の根底に敷き、古代から現代にいたる歴史の上で、つねに権力者によって歴史から消された者たち、いなかったことにされる弱きものたちに思いを馳せて描いたという。

 2024年4月16日、その朗読音楽劇「まつろわぬ民」の東京追加公演が東京・新宿の「角筈(つのはず)区民ホール」で開かれたのを見た。
 作・演出は林周一。演奏はファンテイル(ギター)。出演は白崎映美、佐藤正弘(ワハハ本舗)、堀井政宏、吉田佳世の4人。
 舞台はゴミ屋敷。そこに住むのが古代東北地方の少数不足「蝦夷」をモチーフにした鬼一族の記憶を持つ担沢スエ。白崎映美さんが演じた。
 劇中、古代と現代の時間を往復し鬼一族が登場する。
 古代大和朝廷の東北地方への勢力拡大に対してこの地方に元々住んでいた小さな部族は抗った。大和朝廷はこれを”蝦夷”と呼び”まつろわぬ民”とも呼ばれました。担沢スエは、その鬼一族の巫女だった。
 「俺たちはまづろわねえ」。そう「まつろう」とは「服従する」「従う」という意味だ。だから「絶対服従しねえ」ってこと。
 椎の木は縄文の森の守り神。そこで待ち続けるーー灯が消えないように。守り続けるのだ。

浪江町民・今野さんの挨拶
 そして第2部は「酒田の歌姫、山形の歌姫、日本の歌姫、世界の歌姫」白崎映美さんのミニライブだった。
 まず「初演から私たちを支えてくれた方を紹介したい」と言って今野寿美雄さんを紹介した。今野さんは浪江町民。原発から10キロのところに自宅があったが今は更地だ。元原発エンジニア。
 「2011年3月11日は女川に出張中でした。目の前で津波を見ました。すごかった。親戚中からあいつは死んだと思われていた。15日の夜、茨城の古河市で子どもと再会すると「パパ、足ついてる」って」。
 「私が(原発エンジニアとして)勤めていた頃は、非常に厳しく管理されていた。でも事故が起きたらそれがどこかいっていまって、一般の人の被ばくが酷くて、原発の中のほうがきれいだという」。
 「でたらめな政府に声をあげようと思っています」。
 そして自宅の解体のことに話は移った。「解体すると1500万円かかるので環境省の事業で解体しました。解体しないと固定資産税がかかる。今も住んでいない土地に固定資産税がかかり続けている」。
 「震災から9年目で浪江の家は100軒くらい壊されて、これを「9年目の津波」とよんでいるけど、それで更地だらけになった」。
 浪江にもともとは2万1千人いたのが1万人しか戻っていないという。そしてそのうち4千500人くらいは廃炉作業に携わる人たちで5千人弱が中間処理施設関連の人たち。元の住民は少ないという。

世界の歌姫・白崎映美さん
 ここで「まつろわぬ民」の作・演出の林周一からも話があった。
 「この芝居が語らなければいけない福島がどんどん変わっている。更新されている。この”まつろわぬ民”の中で歌っていきたい」。
 ここで白崎映美さんが呼ばれた。
 最初の唄は白崎さん作の「まつろわぬ民」。
 「いろんな世界の声のちっちゃな人たちと一緒にやっていこうと思っています」と白崎さんは話す。
 「テレビをつけても悲しいニュースばっかりやってるけど、ちいさいなうれしいことがいっぱいありますようにと思って作りました」と言って次の唄「うた」になった。
 最後は「更地のうた」で締めくくられた。

 


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