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旅する棟方志功

 青森県立美術館で旅をテーマとした棟方志功の展示を見てきた。2023年7月17日(月・祝)に好評のうちに終了する。
 棟方志功は画家を志して上京した後、油絵から版画に転向し、民藝運動の指導者たちの知遇を得る。この出会いによって棟方は仕事面のみならず生活面でも支えられ、版画家として躍進していった。
 その一助となったのが旅。棟方は旅が好きで、故郷青森とは違う山並みや建築物がある風景、その土地の食べ物や産業といった異文化に触れる経験からも作品を生み出していった。

棟方志功が使っていた道具 

 1936年には「仏さまを見たいです」と京都の河井寛次郎邸に約40日間滞在、寺社を巡った。本州最北の青森で小学校しか出ておらず貧しい生活の中でも志を高く持っていた棟方にとって、初めて訪れる西も見聞を広めることも心震える出来事であり滋養でもあった。

 表紙「下関より長崎まで また松江まで」 版画の旅記 1954年 木版・紙 インク・紙 棟方志功記念館蔵 1月30日に東京を出発。ほぼ1日かけて小倉に到着。下関と小倉の個展会場を見学、歓迎会、民藝有志との座談会、自身の姓のルーツと考える宗像神社参拝など。各地を巡り、松江に寄って帰京。
  《天主堂天突くの柵》
《門舞頌(かどまいしょう)》1941年 木版・紙  


 棟方は海外にも赴いている。日本人の海外渡航がまだ自由化されていない1959年、ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招きで初めてアメリカに渡った。
 棟方の著書「わだはゴッホになる」(日本経済新聞社)によると、ニューヨークに着くまでに版画を生み続け、米国で早速60点の個展が出来た。
 夏には約1か月間、ヨーロッパを旅行した。「わたしはヨーロッパには、長い間の念願を二つ背負っていました。一つは、バン・ゴッホの墓を詣でること、一つはバチカン・システィン礼拝堂で、ミケランジェロの「最後の審判」に会うことでした」(「わだはゴッホになる」)。

《オーベールのゴッホの教会の柵》 1959年 木版・紙


 ゴッホの墓では、妻のマユズミで墓の拓本をとって、帰宅後ゴッホの墓と形も大きさも同じにして静眠埤を造ったほどだった。それは青森市街を見渡せる三内霊園にある。

青森県立美術館からの眺め

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