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映画「越後奥三面」

 私の父は新潟県中魚沼郡津南町の出身だった。秋山郷という日本でも有数の豪雪地帯の入り口に位置する村で生まれ育った。
 私は長男だったこともあり、小学生時代の夏休みはおよそ1か月間、東京からその田舎に行って過ごしたものだ。
 自然に囲まれて、毎日毎日飽きることなくトンボ、セミ、アマガエル、アリ、バッタなどの昆虫などを相手に過ごしていた。
 そんな私にとって、この映画が描くケモノの狩り、川魚の漁、山菜やキノコの採集、田畑の耕作などは決して縁遠いことではない。
 2024年4月27日(土)から「ポレポレ東中野」(東京都中野区東中野4-4-1)で上映される映画「越後奥三面-山に生かされた日々ー」(1984年・145分)は新潟県北部、朝日連峰の懐深くに位置する奥三面(おくみおもて)の人々の生活を描いている。
 今回、デジタルリマスター版のお披露目となる。


 奥三面は縄文時代から人の住む歴史の古い村でもある。人々は山にとりつき、山の恵みを受けて暮らしつづけてきた。冬、深い雪におおわれた山では、ウサギなどの小動物、そして熊を狩る。春には山菜採りが始まる。特に家族総出のゼンマイ採りは、戦争とよばれるほど忙しい。
 慶長2(1597年)の記録が残る古い田での田植え。夏は、かつて焼畑の季節だった。川では仕掛けやヤスでサケ・マス・イワナを捕らえる。秋には、木の実やキノコ採り。そして仕掛けや鉄砲による熊狩りが行われる。
 「山、山、山……。幾多の恩恵、心の支え……山しかねぇな、山の暮らししかねぇなぁ」と、ある村人は言う。人々は東京ドーム約3分の2に当たる3万ヘクタールに及ぶ広大な山地をくまなく利用して生きてきた。
 ここには山に生かされた日本人のくらしのすべてがあった。その奥三面がダムの底に沈むという。スタッフは、ダム建設による閉村を前に、一軒の家と畑を借り、山の四季に見事に対応した奥三面の生活を追いはじめた。

山の恵みを細大漏らさず利用する生活
 本作を手掛けたのは、記録映画作家・映像民俗学者として知られる姫田忠義ひきいる民族文化映像研究所(民映研)だ。 1976年の創設以来、日本列島の津々浦々に伝わる生活や民俗を撮影し、2013年に姫田が没するまでに、フィルム作品119本、ビデオ作品150本の記録映画を残した。
 山の恵みを細大漏らさず利用する生活が奇跡のように保たれていた奥三面に瞠目した姫田たちが、1980年から4年をかけて撮影したのが『越後奥三面ー山に生かされた日々ー』である。
 民映研の作品の特徴は、説明テロップを入れず、説明ナレーションも少ないこと。そして、生活全般のありのままの記録を残すことを第一の目標としている。本作も、その意思が貫かれ、ダム建設による閉村という事件は後景に退き、村人が連綿とつづけてきた山の生活のあり方をただひたすら、几帳面に記録している。
 昭和の終わりまで自然に寄り添う暮らしをつづけてきた村の最後の姿を、まるごとフィルムで残したいという執念により、世界にも類を見ない記録映画となっている。
 映画完成から40年。もはや奥三面がダムの底に沈んでから久しい年月が経過した。いま、この記録を、私たちは何のために、どのようにして受け止めることができるだろうか。
 (映画の公式ページを引用・参考にした)



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