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ビートルズ側近マルの本①

 【スピリチュアル・ビートルズ】ビートルズの地元リバプールのキャバーン時代から解散までローディーを務めた最側近マル・エバンスが残した日記やメモなどをもとにした本が世に出るまでには紆余曲折があった。
 そう、長く曲がりくねった道(long and winding road)だったのだ。
 今回はマルの息子ゲイリーが新刊「Living the Beatles Legend The untold story of Mal Evans」に寄せたFOREWORDから紹介していきたい。
 マルが亡くなったのは1976年のこと。ロスの自宅で酒を呑んでいたところ、間違いがあって入って来た警官に射殺されてしまったのだ。
 ビートルズ解散から6年近く経っていた。その頃、マルはビートルズの歩みを記した本を出そうと準備をしていたところだった。
 仮タイトルは「Living the Beatles Legend:200 miles」最後の200マイルって何か。この本の著者ケネス・ウーマックはあとから種明かしをした。
 ちなみにウーマックはビートルズ研究家で米ニュージャージーのモンマウス大学教授(ポピュラー音楽)だ。

 ケネス・ウーマック教授


 マルはビートルズをライブ会場などに送り届ける運転手も務めたのだが、メンバーはいつも「あとどのくらいで着くんだい?」とマルに訊ねたという。それに対するマルの答えは、リバプールからロンドンまでがおよそ200マイルだったこともあり、「200マイル」だったのだという。
 その答えは若いビートルズの連中のジョークの種になった。そう、ジョンやポールやジョージはからかったー「200マイル、マル」と言って。
 マルがビートルズ本に取り掛かっていることを知ったリンゴはマルに言ったそうだ。「もし真実を語らないのならばやめちまえ」と。
 さて、話を出版までの経緯に戻す。
 最初に出版に興味を持ってマルが日記などの素材を預けたのはGrosset and Dunlapだった。しかし、マルが亡くなると、それらの資料をロスからニューヨークに送ってしまう。
 そしてニューヨークのライフ・ビルの地下倉庫にしまわれてしまった。

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 何年か経って、アルバイトのリーナ・クティさんがそれを見つけて、ヨーコのスタッフにコンタクトをとったのだ。
 ヨーコはすぐにニール・アスピナールに話を回した。ニールはマルとともにビートルズの世話をした人物で、当時アップルの重役だったと思われる。
 1988年、ニールの計らいでマルの遺族のもとに日記などの資料が返還された。そして遺族の家の屋根裏部屋にそれは収められた。それらをもとにした出版の話が再び動き出したのは2010年代になってからだった。
 2020年に遺族は著者となるウーマックとオンラインで初対面した。当時はコロナ感染症の広がりでZoomでの会話となった。
 そうこうしているうちに出版社がハーパー・コリンズになる。


 ゲイリーは書いたー「私は父のことを知っていると思っていたけれど、私の知っていたことなんて白黒の淡いものだった。しかし、今は父の好きだった「オズの魔法使い」のようにカラフルになった。ケン(ケネス・ウーマック)が多くの色をつけ足してくれたのだ」。
 ウーマックはエバンス家と協力して、およそ15か月かけてマルの生涯の詳細をまとめた。その成果は本として実を結んだ。2023年11月に英語版が発売されたのである。

 
 

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