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なんだかんだのこと


私のメンタルの遍歴のこと、つらつらと。


 心療内科に通院し始めたのは19歳の頃。
 それから、8年くらいお世話になり、

 その後、波はあるものの

 今は薬も病院もなしで
 私は暮らしている。


あの頃の私が
今の私を見たら
なんていうかな?


※ 苦手な方、お辛い方は
そっとこの画面を閉じてください ※

◆◆◆◆◆

 心療内科にお世話になったきっかけ 




 失恋

きっかけは些細なこと、
と言われるかもしれない。

好きだった人と付き合えることになったけれど
数週間で
「やっぱり友達に戻ろう」と言われた。

タイミング悪くというか、
ちょうどその頃、
皆に置いて行かれるような感覚に襲われていて

 こんなんじゃだめだ。
 追いつかなきゃ。

心の奥でずっと溺れている感じ。

その焦りが絶望に変わった。

あ、「こんな」私だから、だめなんだ。 

そこでぷつっと糸が切れて


 自傷行為

 

それから、
大学は休みがちになっていたけれど、

たまたま大学に立ち寄った時に、
「心の相談室」の貼り紙が目に入り
導かれるように保健室のドアを叩いた。

そこから、すぐに保健室の方が
クリニックに連絡してくれて
受診することになった。


主な症状




自傷行為・拒食→過食 抑うつ 過呼吸


当初、自分の感情のコントロールができず、

悲しい、辛いという気持ちの発散方法として
自傷していたように思う。


拒食の発症は「細くないと女性として愛されない」と思ったから。

背が高いのがコンプレックスだった。

女の子は小さいほうが絶対かわいい。

自分は背があるから、せめて痩せないと。

失恋をきっかけに、
極端な食事制限で、自分史上一番体重が落ちた。


でも、もともと食べることが好きだった私。


反動で過食に。 

感情のはけ口が 食べることになったことで、
自傷行為は治まってきたものの 
毎日、何かしら買い込んで帰宅した。


基本、引きこもりだったけれど
休みの日は
近所のコンビニ・スーパーをはしごして

食べるものを買い漁った。

食べて、寝て、落ち込んで 
その無限ループを繰り返していた。

体重も増えて、さらに自己嫌悪。


「吐いたり、下剤の濫用は良くない」
というのは知っていて、

私の いい子ちゃんセンサー が作動したため
そこに手をだすことはしなかった。

でも、増える体重をなんとかしたくて
サプリとか ファイブミニは毎日飲んでいた。

…でも、自分の期待していた効果は全くなかったし、今思うとそれも、良いことではないけど、私なりの必死の抵抗だった。


治療




 診察とカウンセリングに服薬


診察もカウンセリングも予約制で、
時間も決まっていたけれど、

時間いっぱい、話を聞いてくれた。

担当医の「なんかあったら、電話してきていい」って言葉に甘えて、

診察日以外に電話をしたこともあった。

 「大丈夫」
先生のその言葉に何度救われただろう。


カウンセリングでは、

自分の内面を見つめて
それを言葉にする機会がもらえたことで、

自分の中の抑圧されたものを少しづつ認めて
解放されたように思う。

友達には話せないグジャグジャした気持ちを
話せる場所ができたのはありがたかった。


服薬に関しては

もう20年も前のことなので、
今とは使われる薬も変わってきている。


治療開始の頃は、
覚せい剤原料(もう、今は使えない)を
処方されていた。

母親は当時を振り返って、
私のテンションがおかしかった。と言っていた。

無理矢理ハイにしている状態。

その後、その薬は中止になり
(なぜ中止になったのか記憶がない。
多分そこから拒食→過食にうつった)

感情の波をコントロールするため、
デパケンとルボックス

不安時に服用できるよう
ワイパックスをもらっていた。

服薬開始時は
薬剤師(当時はまだ薬学生だったけれど)
なのに、

「私の症状は薬では治らない」と思っていた。

でも、今、振り返ってみると

服薬することで
グっと食い込むような感情の波は
穏やかになっていたと思う。

当時の私には必要だった。


そこから見えてきたもの(原因)




愛されるためには、
望まれる自分でいなければいけない。
という呪縛


小さい頃、ピアノの練習をしたくなくて
駄々をこねた。

その時に母親にすごく怒られて、
数日、口をきいてくれなくなった。

妹とは普通に会話しているのに、
私が話しかけても、返事をしてくれない。


それが、とても、辛かった。


 中学、高校になって、
テストでいい点をとってくるとほめてくれた母


いつしか、母親に愛されるために、

「いい子」「母親の望む自分」でいようとした。


そして、
母だけでなく、全ての周りの人に対して

嫌われないように 
失敗しないように
大丈夫かな

と顔色を伺うようになり


その果てに、

自分はこうあるべきなのに 全然できない!

できない自分なんて 愛されない! 

と爆発した。


自分の存在価値を
人と比べることで確認し、
また、人からの評価が全てだった。

ありのままの自分を
自分自身で
認めることができていなかった。



通院を終わらせることができたのは




周りの人のおかげ 


関わってくれた人たちがいたから。

その一言に尽きる。


病院の先生、カウンセラーさんはもちろん、


壊れた私に寄り添ってくれた友人たち。
大学に来れなくなったことを心配してメールをくれた主人。
出られなかった実験の授業を休みに補習させてくれた先生方。

薬局実習先で私の症状を「同じような患者さんに寄り添うことができる」と言ってくれて、「一緒に働きませんか?」と声をかけてくれた薬局長。

働くことになり、
通院のため、勤務シフトを考慮してくれたこと。

「片手怪我してると思ってごらん。
それでも、できることはあるよ」と声をかけてくれた先輩。

仕事だけでなく、プライベートでも遊びに誘ってくれた職場の人たち。

「人と比べなくていいよ。笑顔がいいよね。」
と言ってくれた恩師。

そして、家族。
問題の根本は、母と私の関係性だった。
でも、私が通院したことがきっかけで、母は愛し方がわからなかったんだって。そこが少しづつ解けてきた。

どんなときも静かに見守ってくれて、
色んなところに連れ出してくれた父。

真面目でまっすぐな妹。

いつも優しく迎えてくれた祖父母。


何もできない自分でも
離れずにいてくれた人たち

日々、接してくれた人たちがいてくれたから

私は1日1日を積み重ね、
気づきをもらい
それが薬の代わりになって、

今は服薬も通院もなくても

大丈夫。


現状とこれから 

今、こうして笑っていられるのが幸せ。
悲しい記憶にはもう縛られない。

私は、自分が恋する自分になりたい。


あの頃の自分が今の私を見たら、
信じられないんじゃないかと思う。
 
朝起きて、仕事に行って、
楽しいことを楽しいって
美味しいものを美味しいって
そんな風に笑って過ごせるなんて

想像もできなかった。

今も上手く感情がコントロールできないと
食べることに走るし、
未だ、人と比べたり、人の顔色を伺うことも
してしまう。

でも、
「あー。今、落ちてるね。」って
客観的に見れたり、
自分でヨシヨシできる余裕ができてきた。

 
病気を言い訳にしてきたこともある。
でも、それも、もう終わり。

そこにしがみつかなくても、もう平気。


目標は、『自分が恋する自分。』

今の自分も悪くない。
でも、もっと好きになりたい。

自分が恋する自分になりたい。

自分の好きを大事に、
自分をちゃんと労って

その結果、
周りの大事な人が笑顔になってくれるって
知ったから。


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たくさんの感謝をこめて。



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