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コロナ禍在宅看取り5(乳がん再発、骨転移)

結局骨転移を疑っての検査となったのは、痛みを訴え出してから2ヶ月程経ってからのことでした。

骨転移がわかってからは、ホルモン剤が効いていないと言うことなので、また苦しい抗がん剤治療に逆戻りです。

母もとても落胆していたし、また副作用に苦しんだり、脱毛に落ち込む母を見るのかと家族みんなが落ち込みました。

しかし落ち込んでばかりはいられなし、母もしょうがない、なるようにしかならないから、頑張ろうと。そうと決まれば早く治療を開始しなければ、がん細胞が広がっていく焦りもありました。

母は自分でいつも「私は明るい患者」と言っていました。

どんなに辛い時でも、笑顔を絶やさない母が小さい頃から大好きでした。本当によく笑うかわいい母でした。おしゃれが好きで、毎日綺麗にお化粧して、いつもお母さん可愛いねと友達からも言われるような母でした。抗がん剤の治療中も、朝起きたら着替えてお化粧してウィッグつけて、孫ともたくさん遊んでくれていました。

治療方針で突然当日に抜歯しなければならなくなり、抜歯して帰ってきた母を前に、ショックで大泣きした時も「心配させてごめんね、私でよかった病気になったのが」と優しく抱きしめてくれました。

いつもいつも何もしてあげられなかった、母が辛い時も私が先に泣いてしまい慰められてばかりでした。

そんな母も、抗がん剤治療の副作用がきつかったときは、本当にもう死にたいと弱音を吐いたことがありました。

本当に本当に辛そうで、でも入院は絶対にしたくない、家にいたいと、いつもそう言っていました。どんなにキツくても辛くても、意識が朦朧としている時期でさえ、母にとっては自分の家にいられることが何よりも安心できることなんだと。

この頃から少しずつ私たち家族は、母を病院では死なせないと、何となく思っていたように思います。それに母は病院にいると元気がなくなっていくように見えました。

体は楽になるのだけど、心が苦しくなっているような。

それぐらい家族が大好きな母でした。