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落語日記 師匠の前での晴れ舞台

落語坐こみち堂 10 柳亭こみち独演会
4月15日 国立演芸場
産経新聞社主催で開催し続けている、こみち師匠の独演会。前回は昨年6月15日開催で、最初の緊急事態宣言が解除されて間もない頃。このときは、客席数をかなり減らし、ライブ配信も同時に行う方式で行われた。私はライブ配信を視聴した。
そんな前回から約一年。今回は緊急事態宣言下ではないが、東京都は「まん延防止等重点措置」の適用を受けている。そんな中での開催。今回は、ゲストに師匠である柳亭燕路師匠を迎え、こみち師匠も気合が入っている。
入場時の手指消毒や検温や市松模様の客席は前回と同じだが、今回は、客席最前列の中央ブロックのみ空席にして、それ以外は市松模様で埋め、前回よりは収容人数を増やしている。今回の座席は、緊急事態宣言解除を受けて追加発売された後に入手した分。なのに、最前列の左ブロックの席が当たるという幸運に恵まれた。

入船亭扇ぽう「道具屋」
まずは前座さん。先日の鈴本演芸場の上席でも高座を拝見し、そのときと同じ演目。真面目で実直な印象。噺も同じく真面目で実直。

柳亭こみち「女達とたけのこ」
こみち師匠が弁財亭和泉師匠と一緒に作った音頭「らくごみち」を歌いながら登場したので、ビックリ。コブシが効いて節回しの調子が良い美声に、客席は手拍子で一気に盛り上がる。前回のこみち堂が感染症対策の制約下だったので、客席がいまいち盛り上がりに欠けたという反省から、出鼻から一気に盛り上げる方法として唄うことにしたとのこと。外連と呼ばれようが、何とか観客を楽しませたいという、こみち師匠の強いサービス精神の表れだ。
挨拶代りのマクラが楽しい。まずは、前座の扇ぽうさんのことにも触れる。芸風のとおり真面目で仕事の出来る前座さんなので、こみち師匠は可愛がっているようだ。
そして語ったのは、燕路師匠のこと。今回、師匠である燕路師匠が自分の独演会のゲストとして出演されることが、こみち師匠にとってはなんとも嬉しく感動的な出来事のようなのだ。自分の独演会に師匠に出てもらう、これは落語家の皆さんが感慨を持つ出来事だろうと思う。我々素人の感覚で比べるのもなんだが、子供のころに学芸会の舞台を親に見せるときの恥ずかしさや晴れやかさが混じったような感情。卒業式に来た親を見かけたときの感慨。素人了見なのだが、師弟が互いに持つ感情は、親子の情に近いものがあるのではと感じている。
このマクラでのこみち師匠の話しぶりから、燕路師匠の芸が好きでたまらず、そして厳しく育ててもらったことに対する感謝の情が伝わってくる。こうして国立演芸場の客席を埋めて独演会が出来るまでになり、そこで客席を沸かせる高座を見てもらえる。これは、こみち師匠にとっては師匠に対する恩返しという意味合いが強いのではないか。とにかく嬉しそうな表情のこみち師匠なのだ。こみちファンとしても、嬉しい出来事として一緒に喜びたいと思う。

本編は「たけのこ」という珍しい噺、それも登場人物を全員女性に変えたこみちヴァージョン。登場人物は武家の奥方とその腰元、隣家の武家のおばば様。セリフが武家の女言葉に改変してあって、これが見事に武家の女性らしさ、その身分らしさを表現している。この「らしさ」は落語にとって大事な要素。歴史的な事実かどうかより、「らしく」聴こえる方がリアルに感じられるのだ。
この武家の女性たちは皆、頓智が効いている。隣家に生えてきた筍を間者に例えることによる可笑しさ、馬鹿々々しさ。特に隣家のばば様のキャラが秀逸。変顔選手権なら優勝という表情のばば様。ときたま見せるぶっ飛んだ表情は、こみち師匠の魅力でもある。

柳亭こみち「おきんの試し酒」
高座に残ったまま、続けて二席目。ちょうど今は、落語協会の真打披露興行の真っ最中。このコロナ禍での披露興行は色々と可哀そうだという話から。披露興行と言えば、必ず行われているのが、新真打が先輩方や仲間を接待する打上げだ。また、披露興行では関係者に弁当を配ったり、楽屋には酒類やオツマミが用意される。これらは、先輩方や仲間に対するお礼の意味合いがある。
その中でも大切な打上げが、今の披露興行ではコロナ禍の影響で行うことが出来ない。なんとも可哀そうだと、こみち師匠。そこからご自身の真打昇進時の思い出話。こみち師匠も出番の日は毎回打上げを行っていた。この披露興行には、燕路師匠も口上はもちろん出番もある。そして、打上げにも毎回付き合ってくれた。というか、燕路師匠は、披露興行の出番より打上げに参加できるかどうかが大事だったらしい。そんな、ほのぼのとした思い出話。そこから、本編は酒にまつわる噺。
この演目は、昨年の浅草演芸ホール11月下席での主任興行で聴かせてもらって以来の2度目。この噺でも、試し酒を行うのが下男ではなく、女中のおきんさんという設定になっていて、まさに、こみち流の改作。
前回の印象と同じく、このおきんちゃんは強烈な田舎弁を振りまき、陽気で明るく愛嬌があるのだが、ときどき辛辣な毒を吐くのが可笑しい。酔っ払いぶりも見事。前回よりパワーアップされたかも。おきんちゃんがときどき上げる意味不明の叫び声が、笑いのツボにはまる。

仲入り

柳亭燕路「佐々木政談」
嬉しそうな笑顔で登場した燕路師匠。跳ねるような登場は燕路師匠の特徴。まずは、弟子の独演会に出演することの喜びを感じさせるマクラ。
国立演芸場を会場として、これだけの観客を集める独演会を開催できる若手真打はそうそういない。素人考えでは、師匠といえども同じ落語家のライバルとしての悔しさもあるのではと心配してしまう。しかし、素直に弟子を誇らしく褒める燕路師匠を見ていると、そんな素人の僭越な懸念は吹っ飛んでしまう。こみちファンの観客に対しても、気持ち良くさせようという心遣いも感じる。ほんと、人間が出来た師匠だなあと思う。

本編導入のマクラは、昔から人気のある歴史上の人物を伝える格言の紹介から。判官贔屓という言葉があるように、源義経は絶大な人気があった。特に東北地方では、関係ない芝居でも義経は欠かせないというくらいの人気があった。そして、同じくらい人気者、名奉行と言われる大岡越前。落語でもお馴染み、しかし、もう一人、名奉行が実在した。それが佐々木信濃守、そこから本編に入る。
この噺は、生意気な知恵者の子供である四郎吉と、庶民に対しても暖かな目線で接する南町奉行の佐々木信濃守。この四郎吉は、知恵は回るが、どこかあどけなさを残し子供らしさは失われていない。なので、周囲の大人との対比もくっきり、ちゃんと子供らしくみえる。大人も、奉行所の侍たちと、四郎吉の周囲の長屋の住民たちも身分立場の違いも明瞭。佐々木信濃守も、燕路師匠の人柄が反映されているような、人情味あふれる雰囲気が醸し出されている。
お白洲で奉行と対峙する四郎吉が、堂々としていて気持ちが良い。大人が震え上がるお白洲で、奉行との頓智問答を繰り広げる四郎吉。この噺の見せ場だ。こんな子供はいない、まさにファンタジーな場面。この場面を理屈抜きで楽しませてくれるのが落語の世界。それを見せてくれた、燕路師匠の見事な一席だった。

柳亭こみち「愛宕山」
師匠を前方に、いよいよこみち師匠のトリの一席。
燕路師匠の一席を受けて、その感想をチラリ。いつもの「真っ直ぐな落語」だったと。この「真っ直ぐな落語」を続けて、燕路師匠が今だに寄席に出演し続けているという素晴らしさ。燕路師匠の「真っ直ぐな落語」とは、なるほどピッタリな表現だ。これは、弟子から見た師匠の芸風を一言で言い表したものであり、言い得て妙である。それにしても、お互いをこれだけ褒め合う師弟も珍しい。

こみち師匠ご本人は、ご自身の落語を師匠の落語とは少し違うと感じられているようだ。
違ってきた切っ掛けは、2007年に燕路師匠から言われた言葉。俺と同じ落語家は二人要らない、自分の落語を見つけろ、俺と同じクスグリはやるな。その後から、独自のこみち流落語を探す長い道程が始まったようだ。
こみち師匠は、女性が主役の落語、女性目線の落語、そんな取り組みをされている。燕路師匠の「真っ直ぐ落語」とは異なるアプローチで、自分なりの落語を模索されている。しかし、手法やアプローチは師弟で異なっていても、こみち流の改作落語もまた、落語と真摯に向き合った「真っ直ぐな落語」と呼ぶべきものだと感じている。この日の最後の一席も、そんな工夫にあふれているが、噺の芯は外れていない本寸法な愛宕山だった。

物見遊山に来ている商家の旦那からは、お金持ちの余裕が感じられるし、取り巻きの幇間一八の濡れ手に粟の一攫千金を狙っている強欲さも上手く表現されている。一八の山登りの場面では、得意の咽を活かした唄を聴かせる楽しい場面が続く。
この演目でのこみち流アレンジは、一八の山登りのお供、お目付役が男性の奉公人ではなく、芸者の松奴という設定。この松奴がなかなかの曲者。一八の尻押しもするし、無理やり登らせる強烈なキャラ。このキャラの登場でひと味違う愛宕山となった。
後半の崖から飛び降りて小判を拾う場面は、なかなかの力演。一八の必死の形相は、女流が演じているかどうかなどを感じさせないもの。こみち師匠が目指す落語の道程が見えたような気がした。

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