記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

落語日記 文七元結に挑戦し続ける桂やまと師匠

第100回 桂やまと独演会 ~Move!冬「文七元結 補訂/岡田嘉夫」~
12月17日 ムーブ町屋 ムーブホール
やまと師匠の独演会が今回で第百回を迎える節目の回。その節目を記念した企画が、毎年暮れの恒例として掛け続けてきた「文七元結 補訂/岡田嘉夫」を披露する会となった。以下、この日記では、やまと師匠が取り組んでいる特別な文七元結を岡田版文七と呼ばせていただく。

今を遡ること13年前、とあるご縁でやまと師匠は古典芸能に造詣が深い画家の岡田嘉夫氏と知り合った。文七元結について一家言ある岡田氏が、新たな解釈と新たな演出を加えた脚本を書き、やまと師匠に提案された。この脚本に対してやまと師匠が落語家としての意見を出し、二人で議論しながら新たな演出を加えた文七元結、岡田版文七を創り上げた。その成果を初めて発表したのが、2013年12月13日の内幸町ホール。翌年の年3月に真打昇進を控えていたころで、当時はまだ二ツ目の桂才紫と名乗っていたころ。
あれから、毎年暮れになると独演会でこの岡田版文七を掛け続け、演出やセリフも磨き続けてきた。その岡田氏も2021年に86歳でお亡くなりになる。その後も、岡田氏が遺された遺産として、やまと師匠は大切にして掛け続けている。そして、この日が12回目の披露となる。

対談:葛西聖司(古典芸能解説者)× 桂やまと
まずは、中央大学でやまと師匠の先輩にあたる元NHKアナウンサーの葛西氏との対談。
古典芸能全般に造詣が深く、岡田氏とも親交が深かった葛西氏。この岡田版文七は何度も聴いてもらっているそうだ。そんな旧知の間柄である先輩後輩の和やかな対談となった。
岡田版文七が初見の観客も多いようなので、この演目の成り立ちの話から。やまと師匠と岡田氏とのご縁は、13年前の出会いに遡る。師匠の奥様が出版社に勤務されていて岡田氏と面識があったことから、末廣亭にやまと師匠の高座を観に来られた。終演後に会食して、落語に詳しい岡田氏と落語談義で盛り上がったことが、この岡田版文七の出発点。
葛西氏から、この縁を繋いだのが奥様であることが協調され、会場からも拍手が巻き起こる。
歌舞伎好きの葛西氏は、団十郎京都公演を観終わって駆け付けてきたそうだ。歌舞伎といえば、山田洋次監督演出と寺島しのぶ出演で話題の文七元結の歌舞伎公演の話へ。やまと師匠も観にいかれたそうだ。お二人の感想は、舞台演出がとにかく斬新。例えば、吾妻橋の場面も、回転舞台を上手く活かした画期的なものだったらしい。セリフ廻しも山田洋次監督らしさを感じるもの。歌舞伎好きの二人は、この舞台の話で盛り上がった。やまと師匠も、大いに刺激を受け、ご自身の口演にも影響は大きかっただろう。
終始、和やかでユーモラスな語り口の葛西氏が、客席を沸かせて大いに盛り上げた対談だった。
対談のお開きのあとは、第100回記念の抽選会。お二人でチケットの半券を引いて、カレンダーや手拭いの景品が当選し、会場も盛り上がる。

「文七元結 補訂/岡田嘉夫 上」
いったん緞帳が降り、舞台転換のための短い仲入り。客電が落とされ幕開き。舞台のみに照明が当たり、高座が浮かび上がる。口演中にも、照明が変化する演出がある。途中、音曲が入り、歌舞伎でお馴染みのツケ打ちも使われる。普段の落語公演では見られない舞台演出。これらは、独り芝居の舞台を感じさせるもの。落語ファンから見ると、外連味を超えて異端と感じるところ。本来の落語の手法からは、はみ出ている。
岡田版文七は演出だけではなく、噺の筋書にも大きな改変を加えている。ネタバレにもなってしまうが、鑑賞記録として、ここでは印象に残ったところを書き記したい。

噺は、日本橋の賑わい風景から始まる。文七元結の看板が掛かっている商家。ここは、お久と娘が営む元結を商う繁盛店。噺の後日談の風景が、冒頭に登場するという意外性。
長屋の風景に移ると、寝ている長兵衛が目を覚ますところから始まる。起き抜けに、お久が帰ってこないという騒動の幕開けとなる。この後から、ト書き風の場面解説を挟みながら、物語が進んでいく。
吉原の佐野槌を訪ねる長兵衛親方。ここでも本家では観られない場面が続く。大門では、長兵衛は会所の門番に止められる。怪しまれるが、佐野槌の番頭が誤解を解いてくれる。佐野槌では、なかなかお久に会えず、帰り際にやっと会える。ここでは、なかなかに厳しい女将。
佐野槌からの帰り道、五十両を懐に入れた長兵衛に客引きが声を掛ける。五十両の重みが感じられる細かい情景。ここで流れる三味線が、この吉原の賑わいと夜の寒さを伝えてくれる。
さて、いよいよ吾妻橋で文七と出会う。ここでも本家では観られない場面。文七のシクジリ話を聞いた長兵衛は、奉公先の鼈甲問屋近江屋へ謝りに行こうと一緒についていく。店の前まで行って背中を押すが、どうしても決断できず橋まで戻る文七。そこから、五十両をぶつけて逃げるお馴染みの場面に突入。ここで、前半、上編の幕となる。

仲入り

「文七元結 補訂/岡田嘉夫 下」
客電落ちて緞帳が上がる。遠くから聞こえてくるのは、「火の用心、さっしゃりましょう」との夜回りの掛け声。これで舞台は、一気に冬の夜。そこで、やまと師匠登場。
後半、下編は、近江屋の奥座敷から始まる。文七の帰りが遅いのを心配している大旦那と番頭の会話が聞こえてくる。この二人の会話の中では、番頭が狂言回し道化役。笑いを誘う場面。
文七が五十両を持って店に戻ってくる。そこで文七が取り出した五十両。これを見た大旦那は、文七が持って来た五十両の出所について強く心配する。もしかして、文七が間違いを犯したのでは、そんな当然の心配だが、表立って強く表現されている。私はここも、岡田版文七の重要な改作ポイントかもと感じた。
そして、岡田版文七の最大の見せ場と思われるのが、五十両を巡る二ヶ所での遣り取りの場面の見せ方だ。近江屋での主従の会話の場面と、長屋での長兵衛夫婦の場面。これが交互に登場する。映画で言うところの、カットバックの手法。キーワードをきっかけにして、近江屋と長屋が場面転換して交互に登場する。これは、演者としてはなかなかに高度な技量を必要とするもの。登場人物の会話だけで、場面が変わったことを伝えなければならない。ここは、口演を重ねてきた成果だろう。見事な場面転換を見せてくれたやまと師匠。
真相にたどり着いた大旦那の差配から、下げに向かって一気呵成。佐野槌の女将も再登場。クライマックスの母娘再会の感動の場面はカット。その分、下げの場面に余韻を残す。長兵衛夫婦が吾妻橋へ向かい、しみじみと事件を振り返る。そこで、新たな下げとなる。

落語という芸能の表現法や、文七元結という噺の本質を変えず、独自の解釈と演出に挑戦し続けてきたやまと師匠。岡田氏と創り上げてきた独自の工夫は、古典の名作と真摯に取り組み、十年掛け続けて磨いてきた成果だ。
昨年は役者として映画にも出演された。そんな経験や岡田版文七の経験が、落語家としての活動の肥やしとなり、芸の幅を広げる原動力となっているはずだ。これからも、岡田版文七の変化を楽しみにしたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?