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落語日記 すっかり落語家らしくなった方正師匠

木馬亭ツキイチ上方落語会 6月公演
6月6日 木馬亭
アップし忘れていた日記を遅れて公開。
木馬亭の自主企画公演で、今年の1月から始まった寄席形式で毎月開催されている上方落語の会。5月の吉坊師匠主任公演からあまり間隔を置かず開催。
この日の主任は、タレントとしても活躍されてきた人気者の月亭方正師匠。毎回の顔付けが、知名度のある人気者と勢いのある若手という組み合わせが絶妙。この顔付けをみても、上方落語の魅力を東京にも広めたいという主催者の思いがビンビンと伝わってくる。自分もそんな主催者の意図にハマってしまった一人だ。

立川笑えもん「つる」
談笑門下の前座さん。初めて拝見。ドラえもんのような、ジャイアンのような、丸っこい体形。大汗かきかきの熱演。身体からだけでない、芸からも圧を感じる。

笑福亭大智「野ざらし」見台なし
上方落語協会会長の笑福亭仁智門下。と言うことは、二年前に亡くなった三代目仁鶴師の孫弟子にあたる。ヤングオーオーを観ていた世代としては、当時活躍されていた落語家の皆さんの孫弟子の世代が活躍している状況によって、時代の流れを痛感させられる。
初めて拝見。マクラは、東京は久しぶりで、大阪がいくつもあるような大都会と、関西から来られた皆さんは毎回同じような感想。
また、仁鶴師の孫弟子としての思い出話を語ってくれた。晩年の仁鶴師には、側に就いて世話をしていたこともあって、可愛がってもらえたそうだ。思い出話の中で登場する仁鶴師の物真似が、似ていて上手い。
本編は、江戸版とほぼ同じ筋書き。上方版は埋もれていた噺を米朝師が江戸版を参考に復活させたものらしい。上方では元々「骨釣り」という別バージョンの噺があったようだ。
主人公がお調子者で一人気狂いなところ、女嫌いで威厳のある隣家の浪人先生など、キャラは江戸版と同じ。また、主人公が、釣りをしながらサイサイ節を陽気に唄って妄想に浸る場面も同じ。ここは陽気に大声で元気良く。この笑いを追求した派手さが、上方落語の特徴だと強く感じさせてくれた一席。
大智さんは、トップバッターとして、会場の盛り上げ役を見事に果たした。

桂三四郎「阿弥陀池」見台あり
桂文枝門下。久しぶりに拝見。拠点を東京に移して12年目とのこと。たぶん、東京に進出されてすぐの頃に拝見した記憶がある。若々しい印象は、その当時と変わっていない。おそらく、上方落語家として東京に進出された先駆者だろう。なかなかに苦労が多かったに違いない。
話題は、コロナ禍にあっては配信を多く行ってきたという話。皆さん、会場で落語が出来なかったので、落語の配信は盛んに行われていた。三四郎師匠によると、観客の反応が分からないので、配信は受けないけれど、すべりもしないとのこと。なるほど、一之輔師匠も同じことをおっしゃってた。
上方落語家は、配信では落語から離れたものが多かった。三四郎師匠は、先ほどの大智さんの配信のファン。その語ってくれた配信の内容が、馬鹿々々しくて面白い。
そんな配信と違って、生の会場での観客の心得を熱く語る三四郎師匠。落語は演者と観客との間で心の中で会話している。演者と観客の間には、言葉の無い会話が成り立っている。だから、客席の姿勢が非常に大切。なので、集中力、忍耐力等々数多くのことが観客に求められているのだ。この辺りから、笑い声が起き出す。熱く理論を語っているようで、実は観客に協力を求めていることが伝わり、ほのぼのとした可笑しさで、会場も和やかな笑い。これは高座と客席を一体化するような笑いであって、客席を掴む手腕をみせてくれた。
浅草演芸ホールや東洋館と、色々あるなかで選んで来てくださったお客様は有難い、そんな浅草らしい感謝の言葉は、さすが東京に長い三四郎師匠らしさ。すぐ近所のホッピー通りは賑やかで騒がしい。木馬亭が一番静かです、とオチを付けてくれた。

本編は、江戸落語でいう「新聞記事」。ネットで調べると。元々は「新作和光寺」の題で上方の桂文屋が創作し、この噺が昭和初期に東京へ移植され、登場人物を変え「新聞記事」と改題されたものらしい。三四郎師匠の一席は、本家上方落語の噺にある阿弥陀池の登場しない型。江戸落語の「新聞記事」に近いもの。
この噺は、クスグリが多々あって、オリジナルな表現も演者の腕の見せ所。三四郎師匠もクスグリが多くて沸かせる。ネタバレになるが、話の中で心臓という言葉が出てこなくて、胸の中にあるものは何、どんどんと突き詰めていった答えが「夢」。こんなメルヘンチックな言葉が飛び出すとは。これにはビックリで、思わず爆笑。

仲入り

桂そうば「笠碁」見台あり
桂ざこば門下。初見の師匠。年齢不詳に見えるが、意外と若いのかも。チラシの写真は丸刈り頭だったが、今は普通に伸びている。これは、娘に嫌われているので、少しでも好かれようとの理由で髪を伸ばしたそうだ。その結果、娘さんの反応は「やっぱり嫌い」。そんなマクラから開始。
ご自身は福岡県出身。関西出身ではない上方落語家さんもいる。東京の落語家に地方出身者が多いことを考えれば当たり前のことだが、上方弁の落語を語る落語家は、みな関西出身のような印象を受けていたので、認識違いを痛感。
その福岡の小学生時代の思い出話。藤井聡太の活躍で、今は将棋ブーム。実は、小学生による将棋の全国大会に、福岡県代表として出場した経験を持つ。この大会に出場したときのエピソードがなかなかに面白い。思い出話を面白可笑しく語って聞かせる手腕、上方落語家の得意技だ。そんな将棋の思い出から、囲碁将棋の話になり本編へ。

この演目も、江戸落語ではお馴染みの噺。馬治師匠の十八番でもあり、散々聴いてきた。なので、江戸版との違いも感じることができて、興味深い一席となった。
江戸版では、隠居同然の大旦那二人の暇つぶしが描かれている。そうば師匠の一席は、登場する碁敵の二人に上下関係があるようだ。先輩後輩くらいの違いだろうか。片方が敬語を使っているので、そう感じるのかも。
待った無しで、この決め事が喧嘩の発端となるのは同じ。その喧嘩の中で登場する過去の思い出が上方版らしさ。碁敵の一人は質屋を営んでいるようで、過去に質草に合わない金を貸したことを恩に着せる。煙草入れを忘れたところ、店の前をうろつくところなど大きな筋書きは同じ。ネットで調べると、上方落語の初代露の五郎兵衛師作の笑話本の中の噺が元になっている噺のようで、明治のころに三代目小さん師が発展させたものらしい。
碁敵二人の子供のような他愛のない喧嘩や、素直になれない年配者ならではの強情さなど、二人の情感あふれる遣り取りは、見事な一席。この噺は、そうば師匠の任に合っている。演目選びも成功だ。

月亭方正「御神酒徳利」見台あり
月亭八方門下。ホームページでプロフィールを拝見。40歳を迎える直前に落語と出会い、2008年5月に八方師匠の落語会に客演として落語家デビューし、打ち上げの席で八方師匠から正式に「月亭方正」の名を貰ったそうだ。なので、落語家に転向して15年目というキャリア。上方落語協会に加入してからも14年。
落語日記を調べると、方正師匠を前回拝見したのが2012年。当時はタレントと落語家の二足の草鞋という印象だったし、若々しくもあった。あれから11年、確かに、お顔も丸くなり貫禄が付いた印象。今回拝見して、落語家として精進を重ねてきたことが伝わってきた。

マクラはまず、木馬亭での思い出話。実は、ダウンタウンのガキの使いの第1回の収録がここ木馬亭だった。その第2回目から、前説に採用され出演してきた。「あれから、もう35年。ずいぶんと老けて丸くなりました。シミも増えました」と感慨深げ。それはまた、落語家として貫禄や風格が付いてきたということだろう。
話題は占いの話へ。私は占いが大嫌い。一度だけ番組で、当時人気の占い師の細木数子さんに占ってもらった。その占いの結果は、方正師匠はいずれ芸能界を牛耳ることになる。これには会場も大受け。だから、占いは大嫌いです、そんなマクラから、占いがモチーフの本編へ。

この噺も上方発祥の演目らしい。占いでピンチを切り抜けていく男。それも、いかさまな手段でのインチキな占い。その種明かしの舞台裏を観客に見せたうえで、そのトリックを知らない登場人物たちの騙され様を楽しんで見ていられる。この爽快感を味わえるのも騙され連中が占いが本物だと信じ込んでいる様子が上手く描かれているからだ。方正師匠は落語としての語りで、登場人物たちの感情を見事に表現されていた。
偽占い師の男は、人は悪くないが気弱な臆病者。このおどおどした様子が可笑しいのだ。これが、いじられキャラのタレント山崎邦正とダブって見える。
あれだけタレントとして売れた方正師匠、どうしてもタレントの姿に引きずられるのは仕方がないと思う。これを逆手にとり上手く利用して、今までどおりに精進を重ねながら、これからの落語家人生を歩まれることを切に願う。

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