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落語日記 二組の師弟が見せる多様な個性の楽しさ

夏の入船亭 入船四景
8月30日 日本橋社会教育会館ホール
昨年10月から始まった入船亭扇遊・扇蔵師弟と入船亭扇辰・扇橋師弟の四人会の第3回目。第1回にお邪魔して以来、今回、裏を返す。第1回に扇辰師匠が急病により休演だったので、今回が4人の勢揃いを初めて拝見できる会となった。

入船亭辰ぢろ「子ほめ」
前座ながら、よく笑う観客に助けられて、客席を温めるグッドジョブ。この後の扇遊師匠の高座が受けるような下地を作った。

入船亭扇遊「青菜」
この日は台風10号の影響で、関東にも荒天の影響が出ている中での来場に、まずは観客に感謝を述べる扇遊師匠。
マクラは、夏の暑さも昔とは違うというお話から。これは年齢層高めの観客もそう感じているだろう話。十代目扇橋師匠と旅の仕事で、行先で大雨にあった。これを扇橋降水帯、そう洒落て笑いを取る。照れながらこんな洒落を言う扇遊師匠は、なかなか可愛い。
流れるような流暢な語り口で「庭にに水、新し畳、伊予すだれ、透綾(すきや)ちぢみに、色白の髱(たぼ)」との蜀山人の狂歌から本編へ入る。お馴染みの流れだが、扇遊師匠の語り口で聴くと、定番の入りも気持ちの良いものとなる。
涼しさを感じさせるものを詠んだこの狂歌、登場する「色白の髱(たぼ)」とは何だろうとふと疑問に思った。ネットで調べると、髱とは日本髪の後ろに張り出している部分を指すらしいが、そこから転じて若い女性そのものを意味するようだ。つまりは、この狂歌では色白の若い女性のこと。そこから涼しさを連想するのだから、蜀山人先生はなかなかの好色家とみた。

さて、閑話休題。本編で扇遊師匠が見せてくれる登場人物たちが、みな生き生きとしていて個性を発揮している。前半のお屋敷の庭先の場面では、おっとり悠長で好人物の主人を丁寧に描写している。これが、後半の長屋に戻ってからの植木屋の物真似芝居のドタバタ劇と対比され、結果としてより可笑しさが増す効果を出している。
ちょい悪の植木屋は、仕事をサボっていたことを自白。しかし、悪気を感じさせない。見栄っ張りの江戸っ子全開で、しょうがない奴として笑わせてくれる。お屋敷の主人の物真似芝居中も、ニコニコと笑い続ける植木屋。お屋敷の主人の物真似が本当に楽しそうだ。
見栄だけが動機で、それ以外なにもないことが伝わってくるので、その馬鹿々々しさを素直に受け止めて笑っていられる。本当に、気持ちがいい一席だった。

入船亭扇橋「鰻の幇間」
仲入り前は、扇辰師匠の弟子の出番。この日は、弟子が出演の香盤が上という構成。
コロナ禍で苦境に陥った全国各地で開催されている地域落語会、現在は復活しつつある。そんな、ある老舗の地域落語会に行ったときの思い出話から。
前座と幇間の師匠と三人で公演を行った。落語会が終わったあとの打上げで、張り切った主催者さんから余興をやらされ、お約束の謎かけを披露。いつもやってるヨイショの謎掛けネタでテキトーにお茶を濁した。その後に幇間の師匠も余興を頼まれ、そこでも見事な幇間芸を披露し、大受けで大量のおひねりをもらった。ところが、師匠はもらった祝儀を出演者3人で山分けにして分けてくれた。本当に粋な師匠だった。そして、分けてもらった祝儀は、本番のギャラより多かったというオチ。
幇間の師匠は芸も凄いが、人間が粋でかっこよい芸人だという前振りから本編へ。客を魚に例え、穴釣り、陸釣りの解説という定番から始まる。

この噺の見どころとして、不味い鰻を幇間が旦那を前にどのように食べて見せるのか、私はいつもここに注目して観ている。そして扇橋師匠は、鰻は当初から不味いという型。我慢して美味いと芝居して食べることなく、なかなか嚙み切れない 丈夫で「男らしい」鰻だと、当初から悪戦苦闘する。これと比べて、酒とおしんこは美味いという反応。演者によるバリエーションが楽しめる場面。
あるタイミングで騙されたと気付き、女中に対する表情が一変する。この辺りの感情の起伏を表情で見事に表現。そこから続く場面、手銭で食べたと分かったあと、女中さんに対する嫌味というか苦情の場面がたっぷりの見せ場。女中の言い訳が、怒りを逆なでするもので、第三者視点では爆笑の連続場面。
まったく動じず、言い訳にしか聞こえな女中の反応に「言い訳するな」と切れる幇間。段々と悲しみがこみ上げてきて、後悔ばかりの泣き言を言い立てる幇間。これに対して、女中から「言い訳するな」との逆襲のツッコミが入る。これには驚くとともに、会場も爆笑。そんな工夫の詰まった、夏の定番噺で前半を締めくくる。

仲入り

入船亭扇辰「蕎麦の隠居」
仲入り明けで緞帳があがると、釈台を前にして板付きで扇辰師匠が登場。足を痛めていて正座が出来ないことを説明。ギックリ腰も持病のようだし、体調面で不運な扇辰師匠だ。
普段とは違う高座のセッティングだが、表情はニコヤカ。釈台にもたれかかって、足も崩していて、なかなかに気分が良い、そんな感想。普段の高座と如何に違うかが伝わってくる。
マクラは、久々の休暇の帰路で遭遇した台風による顛末。久々の休暇で昨日に帰ってきたが、帰路の中央線が大雨により途中駅で長時間停車。大月駅まで弟子の辰ぢろさんが迎えに来てくれて、帰宅出来たのが夜中の2時。前日の話だけに、臨場感と情感あふれるエピソードトーク。

楽しみ道楽のうち、食道楽にも色々あるという前振りから本編へ。扇辰師匠でしか聴けない聴いたことがない珍しい噺。私は、扇辰師匠を聴く機会が多いので、今回が3度目。
蕎麦の大食いのご隠居と蕎麦屋の主人との攻防戦が楽しい噺。飄々としたご隠居と真面目な蕎麦屋の主人の対比が可笑しい。小言を言うときのご隠居のとぼけた表情と、少しばかり垣間見えるのが、してやったりの笑み。このご隠居の微妙な表情が、蕎麦屋の反論できない悔しさを膨らませていて、この噺を味わい深いものにしている。すっかり、扇辰スペシャルとなった演目だ。

入船亭扇蔵「吉住万蔵」
この日の主任は、扇遊師匠の惣領弟子の扇蔵師匠が担当。
マクラなしで、語り出した演目は、珍品中の珍品。当然、私も初めて聴く噺。この噺の存在自体知らなかった。ネットで調べると、二代目か三代目の春風亭柳枝が、最初落語としてやっていたものを講談師の邑井貞吉が持ちネタとし、それを三遊亭圓生が教えてもらった演目らしい。扇蔵師匠は、今年6月の独演会でネタ下ししたようだ。本来は、かなりの長講のようだが、扇蔵師匠が主任で掛ける長さに再構成。
時代は明治に入ったころ、築地の鉄砲洲に外国人居留地ができ、この近所に新島原という遊郭が作られた。しかし、居留外国人は医者や指導役ばかりで遊廓もすぐに閉鎖され、その跡に新富座という劇場が出来た。ここで鳴物師をしていた吉住万蔵という男が主人公。そんな物語の歴史的背景を丁寧に解説するところから噺は始まる。

この万蔵が地方公演するなかで熊谷の商家の娘といい仲になり、その後の万蔵を取り巻く人々との因果関係が描かれる。
この噺の登場人物たちは、みな決して善人ではないが、扇蔵師匠の淡々とした語り口によって誠実な人情家に感じさせてくれる。笑いどころは少なく、圓朝物のようなどろどろとした因果応報もない。普通の人間の転落を描いていく悲劇の物語。この噺は人情物と呼ぶべき噺なのだろうが、下げはハッピーエンドではないし、登場人物に共感できる行動も少ない。なので、落語の演目としては、観客に受ける要素が少なく、掛ける演者がいないのも理解できる。しかし、普通の人間が欲望に突き動かされることによって陥る悲劇を真正面から見せてくれる噺。あえて挑戦された扇蔵師匠の落語家としての心意気を買いたいと思う。と同時に、本来の長講を上手く再構成して、分かり易い筋書に仕立て直した扇蔵師匠の作者としての力量を感じさせてくれた一席。
前半が個性豊かな夏の定番の演目だったのが、後半は2席とも珍しい演目という構成。入船亭一門の芸風の多様性を観客に見せつけた落語会だった。


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