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落語日記 圓朝の肖像画の前で、圓朝の怪談噺を聴かせてくれた馬治師匠

【PRESIDENT経営者カレッジ】ビジネスと人生のための教養 「落語と幽霊画」を愉しむ
8月13日 全生庵
台東区谷中にある臨済宗の寺院である全生庵。ここには落語中興の祖、三遊亭圓朝の墓があり、かつては落語協会の圓朝祭りも開催されていたので、落語ファンにはお馴染みのお寺。この全生庵では、出版社のプレジデント社主催で教養講座が行われている。今回は「「落語と幽霊画」を愉しむ」と題して、馬治師匠の落語と圓朝コレクションの幽霊画の鑑賞会が行われた。会場での鑑賞と同時に、ネット配信も行われた。

会場は、本堂の一階の坐禅を行う広間。平井住職が冒頭に紹介してくれたのが、この広間の床の間に掛けられている掛軸が、河鍋暁斎作の圓朝の肖像画であるということ。
圓朝の肖像画は、近代美術館蔵の鏑木清方作のものが有名。私は、この鏑木清方のものしか知らなかった。初めて見る河鍋暁斎作のものは、お馴染みの鏑木清方作のものとまったく印象が違う。晩年の姿かもしれないが、好々爺風でどこかユーモラスな印象を受ける。
残されている写真もあるが、圓朝の風貌といえば、鏑木清方の肖像画のものが反射的に浮かんでくる。しかし、この河鍋暁斎のまったく異なる圓朝の風貌を見て、圓朝の存在そのものがますますミステリアスになった。膨大な作品を残した天才落語家。その生前の人物像を知る手掛かりは、残された膨大な作品を通して探るしかないのだろうが、肖像画というビジュアルが与える影響は大きい。鏑木清方の描く風貌から、神経質で芸術家肌なイメージがあり、落語中興の祖として神格化された存在であった圓朝像。それが、河鍋暁斎の描く人間味あふれる年寄像から、より生身の人間として近しい親しみを覚えるものに変わった。
そんな圓朝肖像画に後ろから見守られながらの、馬治師匠の一席となった。

平井正修住職の挨拶と本日のご案内
まずは、平井住職より、圓朝と全生庵との関係と本日の催しの案内を兼ねたご挨拶。

金原亭馬治「怪談牡丹灯籠」より「お露新三郎・お札はがし」
挨拶もマクラも無しで、いきなり噺が始まる。お寺の本堂が会場で、客席の照明が落とされていて、会場の雰囲気が怪談噺にピッタリの状況なので、挨拶やマクラは邪魔になるという演出意図だろう。つまり、演者の個性を感じさせないで、噺の世界に突入させた。
この噺は、ちょうど8年前の二ツ目時代の勉強会、馬治育英会でネタ下ろししている。
このときは、仲入りを挟んで、前半が「お露新三郎」、後半に「お札はがし」と分けて掛けている。今回は、この二席を合体させて、上手くまとめて一連の噺として構成された。最近は掛ける機会が無かったので、本当に久しぶりとのこと。同じ圓朝物の怪談でも、「真景累ヶ淵」より「豊志賀の死」の方が多く掛けられてきたようだ。

今回は久しぶりの蔵出し。数年に渡って熟成を重ねてきた演目。その成果は、登場人物の人物描写に表れていると思う。
長講のうえに、セリフが美文調で難しい単語が頻出するという難しさ。そのうえで、幽霊の描写によって恐怖を感じさせる物語。しかし、真に恐ろしいのは、登場人物の人間であるがゆえに見せる感情の変化だ。惚れた女が死んだと分かった途端に見せる新三郎の薄情さ、世話になった主人筋を裏切り幽霊と取引する伴蔵とお峰夫婦の強欲さ。彼らは、単なる悪人や裏切り者や薄情な人間ではなく、自己保身や神仏に頼ってしまう心の弱さを見せるのだ。
そんな哀れでもある登場人物たちを、キレのある語り口で淡々と見せることによって、哀れさと怖さの混じった感情を伝えてくれる馬治師匠だった。

幽霊画コレクション鑑賞 解説・平井正修
まずは配信用に、展示室から幽霊画のコレクションを見ながら平井住職が解説。その後、参加者が展示室に移動して、実際に拝見。これらは、圓朝が集めたもの。幽霊画を集めていたという圓朝は、やっぱり天才か変り者だ。

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