次へ(2021 立春)
頬がピリピリするような冷たい風が通り抜けて、
突き刺すような寒さにひるむ日もあるけれど、
立春を過ぎて、日差しが少しずつ強まってきた。
凛とした寒さに、
冬にしか味わえない心地よさを感じていた時期は遠に過ぎて、
ただ今は、春を待っている。
家周りを歩いていると、草木も春にむかって
少しずつ動き始めているのがわかる。
今年の冬はやっぱり温かかった。
ふきのとうを初もので食べた日は、いつもより1カ月も早かったし、
イヌフグリが咲いてる、と言うえがくの報告を聞いたのは、
随分前のこと。
まさか、さすがにまだだよね、と思いながら石垣脇に立つと、
あさつきの葉先のつんつんが、枯れた草の間から飛び出していた。
隣りにいたつむぎは、腰回りの冬毛が抜け始めている。
この先まだ寒の戻りはあるだろうに、大丈夫なんだろうか?
「なつめって、冬はあきれるほど動かないね。」
と子ども達に笑われるくらい、冬の私は動かない。
ネットショップの注文事や、日々の家事をしながら、
かなりのんびり家の中で過ごしている。
充電時間と言えばかっこがつくけど、
実際はただ動かないだけなので、
春から秋にかけて作られた「畑筋」はほぼ脂肪に変わり、
身体全体ゆるむだけゆるんでボッテリ。
その分春の動きだしは、年々キツくなってきている。
それでも、山や大地の変化に押されて、
頭の中だけは春にむかって動きだした。
(タラの芽も。)
今年畑で計画していることは、
不耕作栽培=耕さない畑の面積を増やすことである。
3年前の春、多年草の行者にんにくや畑わさび、ウドを入れて、
家の奥の畑に久しぶりに耕さない空間を作った。
今年は、毎年種蒔きする作物も、
耕さずに継続していく畝を作ろうと思う。
耕さずに肥料をすき込まない畑作りは、
数えてみれば13年ぶりだ。
結婚してすぐ始めた7畝の畑で5年、
その後長野に移住してすぐ始めた5畝の畑で5年続けていたが、
4人目のえがくの妊娠出産の間にやめてしまった。
やめた理由はいくつかある。
不耕起栽培では、草の管理にかなり時間が要った。
なるべく土を動かさないように、
作物だけでなく草の根も大事にし、
除草作業は刈るだけで、根は引き抜かない。
草をあえて生やすこともするのだが、
油断していると作物はあっという間に草に覆われてしまう。
作物優位を保つには、
畝ごと、作物の成長に合わせて、
タイミングよく鎌による手除草に入る必要がある。
また自然に培われていく地力で育てる農法なので、
痩せた土の場合、作物がしっかり育つようになるまで、
かなり時間がかかる。
最初の埼玉の畑はまずまず採れていたのだが、
長野で始めた畑は砂地で、見るからに痩せていたから、
5年たってもなかなか思うような収穫は得られなかった。
これでは困るということで、2枚目、3枚目と増やした畑は、
普通の有機栽培で、耕して有機物をすき込むことにした。
結果的に、畝立てや草管理がラクで、作物もこれまでになく育ち、
収量も良かった。
自然農育ちの作物は、味が良いと聞いていたが、
自分が育てたもの同士の比較では、
その違いはわからなかった。
小さいくせに大人並みに食べる3兄弟に加えて、もう1人ベイビー誕生。
その頃営んでいた宿や、出店時の自給食材確保のニーズ。
今より畑にむけられる時間が限られていた中で、
自然に土がバランスを取り戻し、
ほどよい実りをもたらすようになるまで、
自然の変化をじっくりと待とう、
というゆとりを、当時はもてなかった。
また今振り返るとその頃は
土や自然の力に対する信頼も
あまり感じられていなかったと思う。
欲しい収量が得られ、作業効率の良い耕す畑に、
なにか問題や疑問を感じる要素もなかった。
作物の自給率をあげたい。
少なくとも家族分、足りないことがないように収量を十分に得たい。
その10年の経験以後、耕さない栽培には積極的な気持ちは向かずに、
むしろ否定的になっていった。
(冬の味覚<漬物>。今年もたくあんやキムチは美味しく仕上がった。)
そんな自分の中に心境の変化が起きたのは、
この先10年20年後、私はどんな風に畑と付き合っていくんだろうか、
ということを考えるようになってからだ。
今、私が主に管理している畑の面積は約8反。
あと何年、自分がこの面積で費やす労働力を維持できるか。
体力だけでなく気力的にも、である。
今の時点でははっきりわからないけれど、
少なくとも20年後に同じ状況はないだろう。
そしていずれはうちの敷地内にある、
2枚の畑に収めていくだろう。
これまで、
特に末の子も手がかからなくなったここ7~8年くらいは、
動けるだけ動きまわって、効率よい仕事に徹して、
自分の畑を思うようにデザインしてきた。
それはものすごく充実したよい時間だった。
自由に思い存分働ける、そんな自分を楽しんできた。
自家用だけでなく、
販売用の作物も広く育てるようになり、
どれだけ収量を上げられるか、という経済性も、
目標のひとつだった。
でもここにきて、心情は少しずつ変ってきている。
自分のこれからを考えている間に、
そういう働き方を徐々に手放していこう思うようになってきている。
思えば、お金のために働くということから
自分を解放するようになったのは、10年くらい前にさかのぼる。
その後は、夫婦共々好きなことをやっていたら、
自然と必要なお金は入ってくるようになった。
お金のため、稼ぐための動きを今以上に減らせる状況になりつつある今、
自分のためにもっと丁寧な暮らし、
本当に大事にしたいと思うことを、
もっと守れる暮らしにむかっていきたい。
そんな思いを巡らせる中で、
この先畑とどう関わり、
どんな畑を思い描くか、とイメージを膨らませていった時、
耕さない畑「自然農」を再び、
という思いが、強くなってきた。
そしてその思いから、、
自然農のことをもう一度きちんと知りたい、
という気持ちが湧くようになっていった。
そういうわけでこの冬は
自然農法の提唱者の福岡正信さんや、
福岡さんとは別の方法で自然農を確立して広めた川口由一さんの著作本を
本棚の奥からひっぱり出しては、
パラパラ読んだり眺めたりしてきた。
安曇野の臼井さん、山梨のわたなべさん、愛媛の野満さん、
他にも自然農を長年続けてきた先輩や友達は、
私達の周りにはたくさんいる。
そんなある日、自然農の実際を配信している動画を知った。
私としては全く偶然に見始めたものだったのだが、
経験に基づいた方法や説明は得るものが多く、
また動画の締めの語りは、はっとするような言葉や思想が混じっていて、
だんだんそれを楽しみに聞くようになった。
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「島の自然農園」さんの動画
ご本人に御承諾いただいたので、
印象深かったのを紹介させてもらいます。
https://www.youtube.com/watch?v=E1lNfJUj52o
https://www.youtube.com/watch?v=vE3aftlqwvI
https://www.youtube.com/watch?v=kEjp80nedD0
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動画では、現在進行形の自然農の畑を映しながら、
はびこり茂る、しつこい多年草の草の根との付き合い方や、
長年使う畝をどう立てるかや、手道具の使い方、砥ぎ方など、
実践してきたことにのっとって、事細かに紹介されている。
そこには、
私が不耕起栽培にトライしていた時には思いもつかなかったり、
それをしていなかったためにうまくいかなかったと思われることも、
数々でてきた。
そしてある時、
私が以前試みた耕さない畑というのは、ただの不耕起栽培で、
「自然農」ではなかったのだ、ということに気づいた。
だから続くはずもなく、続けようとも思えなかったのだ。
耕すこと、肥料をすき込むことのメリットは今も感じているし、
そこに行き詰まりを感じての自然農への転向ではないから、
急がず、ゆるやかに、自分の動きに合わせて、
これまで培ってきた畑作業にひずみがでない範囲で進めていく。
(自流、今日から新しい暮らし♪)
畑に立つということは、
眼の前に起きることをそのまま受け容れる、その積み重ねであり、
毎年毎日同じ場所で同じことを繰り返しているようで、
そうでない要素も多く、
新しい気付きと学びが常にある、深い世界と感じてきた。
食を菜食に変えた時、
世の中の当たり前の食からの解放感や自由を味わったように、
このタイミングで自然農を取り入れることは、
私の畑の、私自身の自由度を上げてくれる気がする。
私の「次」が始まる。
さあ、春よ来い♪
(なつめ)
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