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生きているだけで殺人者たりうる

いじめでまた生徒が一人、命を絶った。

各種の事件でいわれることだが、被害者の写真、家族構成や生前のプライベートは世間に晒されるのに、なぜ加害者は守られなければならないのか。

今回もいじめた生徒の名前はだいたい分かっている。
だいたいとはいえ、学校関係者の間では当たり前のように囁かれている。

未成年者、同じ学校の生徒、同級生とか、それだけの理由で殺人を犯した罪から遠ざけられるなんて、過保護もいいところだ。

加害者AとかBとか。
亡くなった者に名前があるように、彼ら、彼女らにもちゃんと名前があるんですよ。
バカにしている。


いじめた生徒には
「君たちは、死ぬまで殺人者だ」と言ってやりたい。
人を殺しているんだから。

いくら反省しても、社会に出ても、結婚しても子供を持っても、
君たちは生涯殺人者だ。

同じクラスにいたり、そのいじめを知っていた君たちも殺しに加担した。
直接か間接かだけが境目で、君たちも同罪です。

一生、自分が人殺しに手を貸したことを忘れずにいてください。

今後、いじめ問題をテレビで見たり、あるいは身近で見聞きしたとき、「ああ、自分もかつて人を殺したことがある」「同級生を殺したのだ」と思い出すことでしょう。

いいことです。
いじめの直接の加害者も、加担者も、死ぬまで思い出してください。

人が一人亡くなるって、そのくらい重いことです。
君たちの同級生が、学校のメンバーが、いじめを苦にして自ら命を絶つって、そのくらい周囲の人たちの罪は重いということです。

毎日、何気なく通学していますよね。
それができない。日常が日常でなく、一分一秒苦しみの中で、誰かには心配かけないようたまに笑顔を作って、それでもなんとか生をつないでいこうと必死になっている人がいる。
そういう想いをしている人が身近にいることを想像できますか?

君なら、耐えられますか?

加害者の親は逃げずに子供から話をきちんと聞き、罪を認めさせるべきでしょう。子供が傷つく、とかそんなこと問題ではありません。あなたの子が傷つけた子、亡くなっていますからね。

いじめっ子の我が子の保身などしている場合ではないんです。
殺人にまで発展させた言動を叱責し、猛省を促し、罪を認めさせるのも親の役目でしょう。

「親もあの時逃げた」とかいうことを、子供は理解しています。
「自分の親、厳しかったけれど、正しかった」ということを、後々まで子供は覚えていることでしょう。

学校は一体何を恐れているのだろう。
なぜ隠さなければならないのだろう。

一人、死んでいる。

生徒が、死んでいる。

そこに至るまでに耐え忍んだ日々があったのですよ。
救いを求め、そして絶望に変わった日々があったのです。

頼りにしたくも全然信頼できない関係しか築けない学校や教師。
せめて生徒からSОSがあった時に全力で向き合い、生徒に寄り添い、本気で問題解決のために取り組んでほしい。

その際、守るべきは被害者であって、排除するのは加害者の生徒であってほしい。

その子たちを育てるのも先生の役割ならば、いじめていた事実、罪を明確にしてほしい。
心に傷が残ることを懸念して言えないとか、そういうことではないのです。
そんなこと、知ったこっちゃない。

いじめの相手は命そのものを失くしているか、それに準じたことになっているのですから。

「生きているだけで罪を犯していることになる」なんてことが言われますよね。
これって、本当だと思います。

意図して相手を傷つける言葉を吐いたりすることもある。
だけどアクションには何らかのリアクションがあるように、言ったり行ったりしている本人には何の悪気はなくても、受け取り方や相手の環境の中で育ってきた感覚にとって、受け止めきれないことってたくさんあります。

誰もが無意識のうちに誰かを傷つけている。
何気ない言動であっても、相手の心を深くえぐってしまうこともある。
それを引き金にして自ら命を絶つことにつながるかもしれない。

だから、人って「生きているだけで殺人者」という罪を背負っていることも、心の隅に置いておいていいと思います。



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