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映画『Perfect Days』が教えてくれた生き方。

Wim Wenders 監督、役所広司さんが主演を務めた映画『Perfect Days』。マイベスト映画『Paris, Texas』の監督だったので胸膨らませながら見に行った。期待通り、いや期待を遥かに上回る、ここ最近で一番良い映画だった。

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〈 今日も、いつもと同じようでちょっと違う日を、生きる 〉

竹ぼうきの音で目を覚ます。布団を畳んで、顔を洗う。清掃員のユニフォームに身を通し、自販機で缶コーヒーを買う。カセットをかけ、今日も彼は東京・渋谷の公衆トイレの清掃に行く。

「ああ、こんなふうに生きていいんだ、」

彼の暮らしを追うようなこの映画を見ながらそんなことを思っていた。今までずっと溜まってた何かがダムが崩壊するように押し寄せてきて、涙が止まらなかった。かつて手に追えないほどの勉強量に立ち向かい、目指すはいい学歴を手に入れること、いいところに就職すること、高収入を得て優雅な暮らしを送ること、が”完璧な人生”だなんて思って、自分を追い込んでた必死だった踠いてた、多分溺れていた、苦しかった自分を思い出した。本来の意味で”生きている”こともままならなかったあの頃の自分を包み込んでくれた気がした。

平山さんの生き方は素敵だった、私もこんなふうに生きたいって思った。
何が完璧で、そうでないか、は人それぞれ。平山さんの生き方を単調で素朴でつまらないと思う人がいても、都心の高層マンションの最上階に住みバリバリ稼ぐビジネスマンが素晴らしいと思う人がいても、それはそれでいいじゃない。どっちも私は完璧な人生だって思う。

彼らが、いつも同じようでちょっと違う日を生きている限り。

平山さんはもう多分何十年も同じことをしながら日々を過ごしているんだなってわかるくらい無駄のないルーティーンを繰り返す。でも、毎日、竹ぼうきの音は少し違うし、植物の成長具合も違うし、掃除するトイレだって違うし、そこにはマルバツゲームの紙があってそれも日々ちょっとずつ進んでいて、銭湯のお湯加減だって、コンビニのパンだって、木漏れ日だって、その日読む本のページだって違う。毎日、同じように見えて、違って、毎日が新しい。

それを知ってるから、私たちは生きているって感じるんだと思う。

それでさ、たまにハプニングがある。
例えばそれは、家の玄関から出たところで派手に転けちゃうことかもしれないし、平山さんのところにニコが来ることかもしれないし、同じ清掃員仲間の彼女が「この曲もう一回聞いてもいい?」って二人きりで車でカセットテープ聴くことかもしれない。それが何に繋がるかなんて知ったこっちゃない。なんの因果関係も、なんの解明にもならないかもしれないけど、明らかにいつもと違うことが起こりうる。そんなハプニングに平山さんがちょっとアワアワしたり、声を荒げたり、満面の笑みを浮かべたり、そんな姿を見てるとさ限りなく彼のその日々は限りなく完璧なんだろうなあってうまく説明できないけどそう感じた。

『今度は今度、今は今。』

口数の少ない平山さんの印象残るこの言葉。
私はこの言葉を聞いた時すごく嬉しくなった。”今”はニコとこの川を見ている。いつか来る”今度”はニコとこの先の海に行く。常に”今”を丁寧に生きている彼だけど、その”今”をちょっとずつ積み重ねてる彼には”今度”の未来が確かにある。

ラストシーン。
Nina Simone の Feeling Good が流れる中、平山さんが目にうっすら涙を浮かべ、そして微笑み、幕が閉じる。車から、昇る朝日をみる平山さんのことを歌うみたいに、とても合ってた。

夜が明けて、同じようでちょっと違う、新しい1日を始める。

それは、とにかく最高なことなんだ。
思わず涙が出てしまうくらい、素敵なことなんだ。

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私たちはときに物事を大きく見積りすぎる。
多分、”完璧”ってそれだけじゃない。あなたが目指してるものだけが完璧じゃない。社会が求めるものが”完璧”であるとも限らない。『Perfect Days』は私に”ささいなこと”がすべてであってもいいんじゃないって、そんなささやかな日常の素晴らしさを教えてくれた。



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