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ABW普及の国境を越えた共通点/イトーキ座談会の収録終わる(2/3)

座談会2部は、酒井さんと「ABW(Activity Based Working)」について議論しました。ABWとは、従業員が働く時間や場所を自由に選択する働き方です。
酒井さんは、商品開発本部で企業向けのABWのコンサルティングを担当されています。

右から、岡田さん、酒井さん、香山さん

ABWは「パートタイム社会」オランダで生まれた

議論の後半、酒井さんは、オランダ、オーストラリア、日本という3国で、ABWが普及する時期とその社会的背景に共通点が多いと指摘されました。

そもそもABWは、1990年代、オランダで誕生しています。
1970年代、オランダ経済は「オランダ病」といわれる危機にありましたが、1982 年政・労・使で「ワッセナー合意」が結ばれ、国ぐるみで労働市場改革を進めていきます。

1990 年代に入ると、パートタイム労働の待遇改善に係る法整備が進みます。
1993年、短時間労働者に最低賃金法が適用されるようになり、
1996年、労働時間の長さで賃金労働条件を差別できなくなり、
2000年には、賃金水準を維持したまま労働者が労働時間を短縮・ 延長する権利も認められました。日本では考えられません。

パートタイム労働者の時間選択の自由が保障され、ライフステージの変化に応じて仕事と生活の割合を柔軟に変えることができるようになっています。
これは「パー トタイム経済」といわれます。オランダ経済を回復させ「オランダの奇跡」として評価されてきました。

こうした社会的背景の中で、ABWは生まれます。

イトーキ提供資料

オーストラリア・フェアワーク法設立年にABW導入

オーストラリアでは2009年、シドニーにあるマッコーリー銀行にABWが導入されました。2009年は、労働基準法にあたる「フェアワーク法(公正労働法)」が成立した年です。

70年代後半からオーストラリアは深刻な不況に陥り、高い失業率が続きました。80年代後半には、金融自由化、規制緩和、市場開放など一連の構造改革を進めます。
構造改革の歩みは日本とほぼ同じ時期。しかし90年代に入ると日本と異なり、経済回復して、労働市場改革が始まります。
96年に職場関係法が成立、政治的な紆余曲折があり2006年改正案で無数にあった関連法が連邦法として集約、そして2009年にフェアワーク法が成立します。

労働市場活性化と経済回復との関係は定かでなく、またパートタイムとは違い基本法といえるもので、オランダとは事情が異なります。
しかし、労働市場や労働環境に社会的な関心が向かうなかで、実際に労働市場の流動化が進み、労働者の権利が保障されたうえで、労働者の時間選択の自由が保障される点が共通しています。
ABWは、満を持して導入されていることが理解できます。

果たして日本は

そして2019年、日本では「働き方改革一括法」が施行されました。

オランダのパートタイム労働改善から20年、オーストラリアのフェアワーク法からちょうど10年。同形の環境になっていることは確かです。
そしてコロナ禍を迎えて、日本の働き方はようやく変化しました。
ABWは、その中で確かに拡がりつつあります。

ただ、気になるのは、日本では手に入りつつある新たな労働環境を、労働者が自ら求め、積極的に獲得しているようにみえない点です。
これでは、せっかく獲得した自由な環境も、うまく使いこなせないのではないかと感じてしまいます。

ABW導入の社会的背景については、もう少し追求する必要がありますね。しっかり論考してみます。