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祖父の残したカメラとレンズ

私の父方の祖父は私が小学生の頃に他界した。
関東と関西で離れて生活していたので、そんなにたくさんの思い出があるわけでもなく、寡黙な祖父とどんな会話をしたかもあまり覚えていない。
祖父の隣にいた強烈な個性を放つ祖母に全員振り回されていたので、祖父の思い出が霞みがちだ。
大正時代の生まれで太平洋戦争でシベリアに抑留されたこと、写真が趣味だったこと。膵臓癌で亡くなったこと。お酒が好きだったこと。よく、お酒を飲みすぎて家に帰ってこなかったこと。電電公社に勤めていたこと。最晩年、病院のベッドで季節外れの枇杷が食べたいと言って父を困らせていたこと、差し入れのメロンを少し食べて、あとは私たち姉妹で食べなさいと言ってくれたこと。
それくらいしかわからないかも。
お葬式の時、祖父が死んだことがいまいち理解できていないくらいの歳だったけど、お棺にリンゴを入れてあげてと母に手渡され、入れようとした時に
本当に些細な、祖父と遊んでいる時の光景がよぎったのを覚えている。猛烈に泣いた。初めて人の死を理解したのは祖父の葬式だった。

私が高校生になりカメラに興味を持った頃に祖父の遺品だと言ってミノルタの一眼レフのカメラをもらった。ミノルタのSR-3という一眼レフカメラだ。現在ではボディもレンズも数千円で買えるけど、当時はかなり奮発して買ったんだと思う。
全く使い方がわからないなりにフィルムで撮っては印刷に出しに行っていた。初めの頃はひたすら真っ黒な写真が印刷されて返ってきた。
フィルムの外袋に、撮影のアドバイスがメモされて返ってくるようになった。多分、印刷所の人が見かねたんだと思う。だんだんと数字の意味がわかるようになって、たくさん写真を撮った。

沖縄の大学に進学したときも祖父のカメラを持って行った。
重たくてたまらないし、オートフォーカスもないレンズで不満なこともあったけど、たまに思い出しては使っていた。

時代は流れ、街中でフィルムの安売りを見かけることもなくなり、デジタル全盛の時代になった。
ただの飾りとなっていたカメラだったけど、どうやらレンズはマウントアダプターを付ければ使えるらしいということを発見した。しかもアダプターはAmazonで買える。

ミノルタのロッコールレンズを装着したところ

電気系統の全く入っていないオールドレンズを、現代の最新デジカメにくっつける。無限に撮影し放題だ。時を超えて、レンズが蘇る。

上から見たレンズ。アダプターを込みにしても割とコンパクトで気に入っている。

祖父がどんな写真を撮っていたのかは、残念ながらわからない。
祖母の持っていた古い、父が子供の頃のアルバム写真が、もしかしたらこのレンズで撮られたものかもしれないけど。それにしては写真のサイズが小さかった。
カメラを買うだけ買ってそんなに使っていなかったかもしれない。
多分、このカメラで撮影した枚数は私の方がはるかに多いだろう。
祖父は私が子供の頃に亡くなって、特別に思い出深い話があるわけでもないけど、カメラという存在になって私の生活の近くに祖父は居続けている。




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