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セックスをしても一人(前編)

五月半ばに恋人と別れました。この記事では、彼女との交際と別れのこと、というよりはそれを通して僕が感じた他者と愛し合うことの難しさについて書いてみます。

※思ったより長くなったので前後編に分けることにしました。変なことしてごめんなさい。後編もそのうち書きます!!



僕たちは割と仲のいいカップルだったし、何かあった時は時間をかけてじっくり話し合える関係でもあったと思います。でも、僕は彼女に出会ってから別れるまでずっと、彼女との向き合い方、距離感について、問題を抱えていました。というか、その問題は彼女のことに限らず、一般に「他者を愛する」ことに関して僕は大きな矛盾を抱え続けているのかもしれません。

そのことに気づくきっかけは、彼女の言葉でした。2月ぐらいだったかな?僕ができる限り彼女のことを大事にしようとしているのは分かるんだけど、という前置きの後、LINEで
「〇〇くんにはまず○○くんの生活があって、私の存在はその外で○○くんを癒すためのもの、みたいに感じる」
と言われました。
これが僕の心にぶっ刺さりました。面食らいました。ほんとに。何も言えなかった。その通り過ぎて。

恋人が、要は寂しいって言ってるんだから、ごめんねと一緒に、相手を安心させてあげられるような強くて頼もしい言葉を言わなきゃいけなかったはずです。でも言えなかった。その時の僕は「ほんまにその通りやわ。ごめんな。でもほんまにその通りやわ」という旨の10行ぐらいの文章を送り返したと思います。彼氏としてはかなり頼りない気もしますが、でも仕方ない。この時僕は、彼女との関係よりももっと根本的な、自分は誰のことも何のことも愛してなどいないのではないかという、世界がひっくり返るような大問題に直面してたんです。

彼女の指摘の通り、僕には、ほかの何よりも優先して、第一にまず僕の生活があるんですよね。精神生活、といった方が僕の感覚が伝わりやすいかもしれません。
頭の中であーだこーだ言ってあれこれ考えたり悩んだりする、その営みが、精神生活が、間違いなく、僕の人生の中核をなしている。

「私は、私の部屋の中と頭の中にあるものが好きなの。(中略)
自分のためだけにいられるその時間が、好きなの。私の本当の世界は、そこにある。」

住野よる『この気持ちもいつか忘れる』


自分の部屋の中と頭の中にあるものが一番大切で、それ以外のことは、家族も友達も恋人も、音楽もサッカーも読書も、言っちゃえばどうでもいい。もちろん好きではあるんだけど、なぜ好きかっていえば、それらと関わることでいろんなものを受け取って、その受け取ったものを部屋に持ち帰ってじーっと眺める、眺めながら色々考える、それが好きなんです。結局自分のことが一番大切で、誰のことも、何のことも、愛せていないのかもしれない。

僕がこういう考え方、スタンスを取る理由は、割と明確にあると思っています。それは、大切な人の死の経験。

僕は小4で父、小6で祖父を亡くしています。もう悲しいという感情はあまりないし、自分のなかである程度割り切れてます。父と祖父が僕の人生に「いない」んじゃなくて、父と祖父のいない僕の人生が「ある」、そんな感じ。亡くなった当時はまだ色んなこと考えれる年齢じゃなかったしね。それでも、身近な人の存在もいつか消えてなくなるんだという感覚は、僕の心に体に刻まれていると思います。

そして、高3の2月、受験直前期にペットの犬のハチが死にました。こっちは未だに消化しきれてない。夢に出てきたりとか、ハチの動画見返してめっちゃ泣いたりとか、今でも全然あります。後悔とかがあるわけじゃないけど、それでもめちゃくちゃ悲しい。会いたい。鴨川とか一緒に散歩したかった。

ハチの死は、今の僕の1番ど真ん中にある体験だと思います。ネガティブな意味だけじゃなく。受験直前だから、僕は憧れの大学目指してラストスパート!ってめっちゃ頑張ってたはずなんですよ。でも、ハチがめちゃくちゃ弱ってるって分かって、大学なんかどうでもよくなった。このことも僕にとって強烈なショックでした。1年間文字通り死ぬ気で大学を目指して、色んなものを犠牲にして頑張ってきたはずなのに、ハチの死を目前にするとそんなこと心底どうでもよく思えてしまった。それまで世界で1番眩しく見えていたものが突然光を失ったから、世界の全てが色褪せてしまったように感じました。生きる意味も、理由も、目的も、なーんにもない。ただただ存在し続けている世界に、僕がただ、ただいる。そんな感覚。

そんなことを考えてる間にもハチはどんどんやせ細っていく。弱っていく。確実に死んでいく。ほんとに弱ってくると、呼吸の音が鳴るんですよ。喉の音なのか、胸の音なのかは分からないけど、シュー、シューって、空気の漏れるような音が、鳴るんです。これははっきりと記憶があるんですけど、僕には、その呼吸の音が、死へのカウントダウンのように感じられた。生きることそのものである呼吸が、死へと向かうものであるようにおもえた。息を吸って、吐いて、僕らは1歩ずつ着実に死んでいく。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している

村上春樹『ノルウェイの森』

今にも死んでしまいそうな、消えてなくなりそうなハチのために、自分ができることは何かと考えたとき、僕は、全てが無意味だと感じました。ハチが死ぬことを僕は止められなくて、今僕が何かをしたところで数日以内にハチは死ぬ。じゃあハチが死んじゃった後にできることは?何もない。だってそこにはもうハチがいないんだから。覚えておくことはできる?そんなのエゴだよ残された者の慰みでしかないよハチは死んでるんだから。いないんだから。ハチのことを覚えていたところで覚えてる僕もそのうち死ぬし。何もできない。何も意味ない。そんな根源的な絶望を感じました。

今はもう少し前向きに考える、というか開き直ることができてるんですけど、それでもハチの死に直面した僕が襲われた感覚は今でも生々しく残っています。ハチも、僕も、家族も友達も、大学も木々も地球も、全ては意味なくただ存在していて、何してもしなくてもいつか消えちゃう。ゼロになる。ゼロになるから意味ない。意味ないからゼロになる。そんな「ゼロ」の境地に突き落とされて、今でも僕はそこにいます。



前編はここまでにします。もっと読みてぇよ〜と思ってくれた方、ごめんなさい。そしてありがとうございます。

1ヶ月ぐらいかけて少しずつ書いてるんですけど言いたいことが多すぎて全く終わりが見えて来ず、ずっと下書きにあるのもなんかしんどいので、一旦公開させてください。
後編ではここまでの話を彼女との関係についての話に接続していきます。そこから、愛し合うって難しい〜〜って話とか、どうしたら僕らは上手く愛し合えるんだろうね〜〜みたいなことを書くつもりです。勝手に前後編に分けて申し訳ないんですけど、楽しみにしててください!7月中には書き切ります!最後まで読んでくれてありがとうございました

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