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他人と比べて安心したい

今日は、筑波大学附属聴覚特別支援学校の生徒が書いた読書感想文、『聾者は障害者か?』を読んで思ったこと話したいと思います。

東工大はサークル活動が禁止になってしまい、授業の課題ができるかと思われるかもしれませんが、そうはならないんですよね。なんか、やる気が起きなくて、「時間が経ってる…」を繰り返しています。

☆聾者は障害者か?

http://www.hitotsubashi-bks.jp/contents/reading/img/booklet-list2021.pdf

この5,6ページでそんな長いわけではないので、読んでほしいんですけど、さらっと要約しますね。

本の著者は「ヒトは異なる特徴を持った者を、執拗に排除する」と言っている。これは、「健常者」は「障害者」とくくることで、自分の持つ優位性を明らかにしようとしていることが当てはまる。しかし、優位性があるとかではなく、ろう文化か聴者の文化かという、違う文化を持っているという違いしかない。だからこそ、異質な特徴を持っているとしても、お互いに受け入れ、尊重し合う、これが「多様性」を維持する社会を実現することに繋がるのではないか。

だいたいこんなもんですかね。本当に短いので、サラッと読んでみてほしいです。(ぜひ要約の改善点は、コメント欄で添削してください笑)

☆シャーデンフロイデは本当になくせるのか

シャーデンフロイデとは、簡単にいえば「他人の不幸は蜜の味」です。読書感想文には、健常者にとって、「障害者」に対して抱く感情は「シャーデンフロイデ」的であると言っています。実際、「健常者」の一部には、「障害者」を見て、自分が「健常者」であることと比べて快感を得ていると思います。これは、「障害者」に限らなければ、誰しもが持っている感覚ではないでしょうか。
馬鹿なことをしている男子をみて、「あんなことをする馬鹿にならなくて良かった」とか、大学生になっても中学生の単語が分からない人を見て、「あんなのも分からないやつにならなくて良かった」みたいな。逆に、走るのが遅い子を見て、「自分はまともな速度で走れて良かった」みたいな。
こんなことは、だれもが一度は思ったことあるでしょう。でも、それって仕方のないことじゃないですか?

☆みんな、安心したい

もちろん、みんなが強い心を持って、他人と比べて安心する必要がない世の中になれば良いと思いますが、難しいのではないでしょうか。他人と比べて、自分の優位点を探して安心したい、そうでないと不安でしょうがないというのが人間なのではないでしょうか。だとしたら、そういう面があることを認めて、自分の優位点を探すだけでなく、他人の優位点を探して、それを褒めるようにする方が現実的ではないですかね。人を褒めるのって難しいとは思いますけど、人と比べて自分の優位点を探さないよりは簡単だと思うんですよね。

個人的には、最初に文章を読んだ時に、「ろう文化を持たない聴覚障害者に対して、優越感を感じてそう」と思ってしまったのは、ただの誤読ですかね。たしかに、心の汚い大学生が読んだからかもしれないですね。

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