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残酷な表現は必要だった?

こんにちは、くつばこ+のうたです。ここ最近の傾向として、1日目にざっくりと説明して、2日目に背景とか話して、3日目に個人的にどうなのか、という流れが定番化してる気がします。っていうことで、今日は『明日、ママがいない』についてどう思うのかについて書いていきたいと思います。

☆問題はある

問題があるのか、ないのかと言えばなくはないんだと思います。ペットのような扱いをしたり、残酷なあだ名をつけていたり。これらは、実際に児童養護施設で生活している子ども達や、生活していた人を傷つける可能性は十分にあると思います。このドラマがきっかけで、「ポスト」とか「ドンキ」とかのあだ名がつけられた子が居るらしいので、やはり問題はあるんでしょう。あだ名をつけらてはないにしろ、実際に傷ついた人はいるし、社会的弱者を傷つけるのはダメという意見は間違えてはいないと思います。

☆必要な表現だったのか

ひどいあだ名やペット扱いが必要なかったのではないか、そういう風に慈恵病院は言っています。個人的には必要ない表現だったとは言い切れないと思います。

~ネタバレ注意~

残酷なあだ名
これは物語が進むにつれて児童養護施設から親元に帰ったり、里親の所に行くようになります。この時に「ポスト」や「ドンキ」のようなあだ名を捨てて、「キララ」や「真希」といった名前を名乗るように。これは自分の居場所を見つけてはじめて、残酷なとげとげしいあだ名ではなく、自分の名前を名乗っていく、そんな感じな表現に感じます。

ペット扱い
これもペット扱いのように、里親にもらってもらうために子どもに努力を強制していたのが一転、死んでしまった子どもの代わりに、死んでしまった子どもとして「ポスト」を養子にしようとする夫婦。こんなシーンがありました。その時に、子どもを壊すようなことはしてはいけない、「ポスト」が里親のために自分を殺して、なくなった子どもとして生きるようにさせれないと里親候補に伝えるシーンがありました。それの対比として必要だったと言われるとその通りかなとも思います。

☆結局のところ

結局、このドラマは放送されるべきではなかったとは言えないと思います。もちろん、少し配慮したほうがいい所はあったと思います。しかし、児童養護施設とか、里親とか、報道される機会も少なく、一般の人から見るととても閉鎖的に感じることは多いです。だからこそ、このようにドラマになることで、たくさんの人たちが考えるきっかけにはなるのかなと思いました。あと、個人的には「児童養護施設って施設の人はあんなに怖いの?」と言われた子どもが複数いたそうです。それを事前に、ドラマと現実の違いを小学生だと理解できないかもと想像するのは難しいな、と思いました。


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