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つきみの頭の中

☆自己紹介 
 こんにちは。くつばこのつきみです。
 今回、noteに書くのが初めてで緊張してます。。。拙い文章だけど、私が思っていることを伝えてみました!ぜひ、読んでください。。!

☆とある聾学校にボランティアに行った時の話。
 そこでは、2校の児童が集まって、遊ぼう会的なのをやっていた。そこで私が出会った衝撃は「手話を使わない児童が多い」だった。その子たちは、ほとんどが口話で流暢に話をしていた。または、キューサインという手段で話をしていた。人工内耳をつけている子どもが多く、聴力がいいレベルになってきているのだろう。人工内耳も性能が上がってきている。その保護者や先生も普通に口話で返事をしている様子を見て、手話は聴覚障害者にとっての言語という概念を壊された。
 私は幼少期から特別支援学校に通っており、手話を覚えながら、発音の仕方を覚えるというふうに育ってきた。さらに、高校も特別支援学校であり、手話を使った授業を当たり前のように受けていた。だから、私の中では、手話が第一言語であった。それが当たり前だと思っていた。しかし、今の時代はそうではない。聴力が軽い人も多くなっている。そういう人たちが、何を第一言語にするかは自由である。そう考えると、今巷で、「聴覚障害者だけの手話」みたいな風潮があることに対して、私は「誰が何を使おうと自由である」と思う。むしろ、健聴者が手話を言語として尊重して、覚えてくれようとするのはすごく嬉しい。私が英語を覚えるように、手話を覚えるという様子が当たり前になりつつあるこの時代がとてもいい時代になったと思う。しかし、巷でそういう話題を持ち出す人は、おそらく健聴者が手話を使う時、違和感を感じるところが多々あったのではないだろうか?

☆手話の中にも2つ分類があるよっていう話。
 日本手話と日本語対応手話だ。ニュースなどで主に使われているのは日本手話。若者はほとんどが日本語対応手話で育ってきているのではないだろうか。日本手話は、昔の人が大事に使ってきた伝統的な手話である。故に、口を使いながら話すのではなく、手だけで話すので、手の様子から単語単語を拾い、言いたいことを把握する感じである。日本語対応手話は、日本語の文法に沿って話すので、口を動かしながら手で話す感じなので、わかりやすい感じである。どれを使うかは自由である。
 健聴者は、手話を覚える時、教科書通りにやるのではなく、実際に手話を使うろう者と話し、その文化を知ることが必要だろう。教科書が全てではない。教科書以外に、文化というのがあるのだからそれを否定するのではなく受け入れようとする姿勢が1番嬉しい。

☆結局なにが言いたいのかっていう話。
* 手話を誰が使うのは自由である。
* 文化やその背景を知り、受け入れよう。

 この2つは、他の分野においてもう必要なことではないだろうか。これらを大事にすれば、お互いを尊重しあっていることになるのではないかと思う。それが、この多様な社会を生きやすくする秘訣でもあると考えている。

 長くなったが、最後まで読んでくれた方ありがとう!!!また、いつか書くと思う。。いつか。。。ね。。。

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